パリ五輪のマラソンは女子より男子が先に行われた。男子は日本時間の昨日夕方にスタート。下馬評を覆してメダル争いを繰り広げてるのは日本の赤崎選手である。もしメダルを獲得すればバルセロナの森下さん以来の快挙だそうだ。それを聞いて1992年の夏を思い起こした。
この夏、半月ほど入院生活を送ったのである。入院したのがバルセロナ五輪開会式当日で、閉会式と同時に退院した。ために入院というのは嘘で、バルセロナ五輪観戦ツアーに行ってたと疑われたりもした。まあ、そう思われても仕方ない。しかし入院はホント。幸い苦痛を伴う症状はなかったが、それにも増して暇を持て余すことが苦しかった。
夜になれば五輪中継があるが、昼間はまったくと言って良いほどやることがない。せいぜい夜ふかしに備えて眠っておく程度。それも入院患者の行状としては、あまり褒められたものではない。
だから、土日の競馬は何よりの楽しみだった。
金曜の夜に来てくれる見舞客には、「花も果物もいらぬから競馬専門紙を買ってきてくれ!」と頼み、翌朝までに全レースの予想を済ませて、知人に馬券購入を依頼する。土曜の昼過ぎになるとその知人が頼んだ馬券と翌日の新聞を買ってきてくれた。
そのなんと楽しかったことか。
念のために書いておくが、今のように手軽に馬券が買える時代ではない。ネットもスマホも携帯さえもなかった当時、馬券を買うという行為は今よりもっと大変だった。
私が入院時に新潟で勝利を飾った馬の名は今も忘れない。スプライトパッサー(関屋記念)、フェザーマイハット(BSNオープン)、メジロカンムリ(新潟日報賞)、ブランドエレッセ(北陸S)、ミュゲルージュ(三面川特別)。こうして見るとみんな牝馬ではないか。夏はやはり牝馬の季節なのである。
ただ、入院生活も2週目に入ると「ちゃんとオッズを見て買いたい」という衝動にかられ始めた。件の知人も今週末は忙しくて来てくれそうにない。
そこで私は意を決して、自らウインズに向かうことにしたのである。むろん外出は許可されていない。まさに「23歳、真夏の大冒険」である。
私の入院する病院は白金にあった。バスに乗ってしまえば、並木橋のウインズまで10分とかからない。ちょうど通りかかったバスに飛び乗り、思う存分馬券を買い、ちゃんと翌日の新聞も買い込んで病院に戻ったら、みんな大騒ぎで私を捜していた。いかん。これはマズい。
いやあ、怒られましたね。いい年した大人がこってりと。黄のせいかもしれないが、その夜の点滴はモノ凄く痛い箇所に針を刺された。無断外出の当然の報いとして受け入れなければなるまい。
今ではあんな冒険をせずとも、スマホひとつで簡単に馬券を買える。むろん便利になったことは間違いない。だが、あの夏の日、病院を抜け出してバスに乗り込んだ時の、あのなんとも言えぬ高揚感は、そんな利便性ごときで購えるものではない。だから私は今もネットに頼らず、わざわざ競馬場や場外に足を運ぶのであろう。
今日の札幌UHB賞は牝馬トーセンローリエで勝負した。12着という結果は気にすまい。彼女の曾祖母は32年前にスプライトパッサーが勝った関屋記念の、次に行われた新潟最終レースに勝ったワーキングガール。クラフトマンシップやクラフトワークの母として知られる彼女も、この夏の新潟で輝いた一頭だった。
***** 2024/8/11 *****