情報の落とし穴

引っ越しから1週間が過ぎて、ようやく後片付けが終わりつつある。しかし困ったことがひとつ。自宅のマンションはもともと狭いのだが、いざ大阪から荷物を送ってみたら、それが入り切らない。3年前にここから持ち出したモノを戻しただけなのに、収まらないのはおかしいではないか。なぜだ?

理由は簡単。3年の間に自宅マンションの方にモノが増えたのである。事実、かつての私の部屋は物置きと化していた。家人は手伝ってくれないから、自分でそれらをひとつひとつ片づけなければならない。3年前まで使っていたパソコンはもう使えないし、非常食も大半は消費期限を過ぎている。

役所にも行かなければならない。転入の手続き、免許証の住所変更、印鑑登録もやり直し。最近はネットでできる手続きも増えて助かる。マイナンバーカードに感謝せねばなるまい。せっかくそう思ったところに、そのマイナンバーカードに足をすくわれた。我が身の転入手続きは5分で完了したのに、マイナンバーカードの住所変更にはなんと1時間半を要したのである。

マイナンバー担当の窓口が混んでいたせいもあろう。しかし1件あたりの処理時間の比較でもマイナンバーの方が圧倒的にかかっていた。マイナンバーなんてただの数字の羅列ではないか。なのに生身の人間の手続きよりも時間がかかるのか。そこが引っ掛かった。

役所にとって重要なのはマイナンバーカードに記録された情報であって、生身の人間ではないということか―――。

もちろん役所の人が悪いのではない。役所の業務を隅々までコンピューター化すればこうなることは分かり切っていた。役所は情報さえ管理できれば良い。生身の人間はむしろ邪魔な存在であろう。「遅い」「まだか?」と文句を言ってきたりするのは決まって生身の人間。情報が文句を言うことは、まずない。

マイナンバーは私に付けられた付属物だとばかり思っていたが、実はそっちの方が実体なのかもしれない。じゃあ、その住所変更を待つこの私は一体なんなのか? そんなことを考えていたら1時間半はあっと言う間に過ぎた。

話は先週日曜に遡る。

Mainer

アルゼンチン共和国杯における7歳以上の成績は過去10年で(0,0,0,32)。それを理由に私は意気揚々とマイネルウィルトスを蹴飛ばした。結果はご存知の通り。情報ばかりを見て実体(実馬)を観もしなかった自分が恥ずかしい。そもそもたった10年間。わずか32頭のサンプルでは数学的には情報とも呼べまい。それでも数値化・言語化されるとつい受け入れたくなってしまうのは、我々人間の悪い癖だ。

菊池寛は「情報信ずべし、しかも亦信ずべからず」の金言を残した。ここで言う情報とは厩舎情報の意味合いが強いが、いずれにせよ自分の眼で馬を観ることは忘れるなという戒めであろう。数値化や言語化ができない感覚を、馬券という形で表現するところに競馬の面白さが詰まっている。それと役所の業務を一緒に論じたらお叱りを受けるかもしれないが、数値化や言語化ができない部分に物事の本質が詰まっていることは珍しくない。忘れないようにしよう。

 

 

***** 2023/11/8 *****