続・命名は難しい

先週の大井でドリームビリーバー(母ヒーラ)を応援するうち、15年ほど前に社台スタリオンで聞いた会話を思い出した。厩舎でディープインパクトを眺めていたら、傍らのスタッフさんたちがこんな会話を始めたのである。

ドリームビリーバー

「函館の新馬を勝った“ヒーラ”ってどういう意味なんですかね?」

「さぁ……。オーナーの苗字から取ったんじゃないの?」

この年のディープインパクト2歳世代最初の勝ち上がりとなったヒーラ(母セントフロンティア)は、その一風変わった馬名で話題になっていた。だが、たしかにオーナーは平井裕氏であるものの、そんな命名がアリだとしたら「ヨーシ」とか「テール」とか「カーツ」とかいう馬が溢れかねない。

いや待てよ。ひょっとしたら私が知らないだけで、「スーニ」とか「ラーイ」という馬名は、馬主の名前の一部を伸ばした言葉なのか? となれば「オース」は小須田さんという方の持ち馬だったのか  

……なんてことがあるはずはない。実際のところ「ヒーラ」の馬名は「ヒーラ細胞」に由来する。なんでも、人間の通常の細胞は50回も分裂をすると増殖しなくなるそうだが、「ヒーラ細胞」という細胞は不死化しており、生命の源とも捉えられているのだという。競走馬のヒーラは、やがて母となり、重賞2勝のエヒトを送り出した。その細胞はエヒトや、その弟ドリームビリーバーの身体にも受け継がれている。

エヒト 川田将雅

競走馬の命名というのは、馬主にとって喜びであると同時に悩みの種でもある。人間の場合なら、漢字もひらがなもカタカナもアリだし、同姓同名だって珍しくないが、競馬施行規定によって厳しくルールが定められた馬名を決めるのは、人名以上に難しい。

昨今の馬名を見れば、英語ではなく、フランス語、スペイン語、イタリア語に由来する名前がやたらと目に留まる。大井で活躍中のクチャモザクワジャはなんとスワヒリ語。その意味は「日の出」らしい。

馬名の制約はいくつもある。まず使用できるのはカタカナだけ。それも9文字以内に限られる。ただし、記号もカタカナ扱いにしていた時期もあり、1955年には「ラ・フウドル」という名の牝馬が3勝をマークしている。ちなみにマイルチャンピオンシップを勝ったタカラスチールの曾祖母だ。

馬名がカタカナに統一されたのは、1928年に帝国競馬協会が規定を作って以来、また今も議論の的となる9文字の字数制限は37年に始まった。

さらに続けると、JRAで馬名に促音、拗音の使用が認められたのは、68年の秋競馬以降である。ただし、地方公営競馬ではこの承認が遅れた。地方からJRAに移籍して82年の有馬記念を制したヒカリデユールの表記に、多くのファンが違和感を覚えたのはそのためだ。

さらに90年からは「ヴ」が、97年からは「ヲ」が使用可能となり、「エアグルーヴ」や「エガオヲミセテ」といった馬名が新聞紙上を賑わすこととなる。

1998年 スイートピーS エガオヲミセテ 柴田善臣

ちなみに昨今の注目は、「ヮ」が拗音として認められるかどうかなんだとか。フランス語やスワヒリ語を原音に忠実にカタカナ化するにあたっては「ヮ」の存在が鍵を握りそうだけど、この文字は社会一般において浸透しているとは言い難い。パッと思い浮かぶのは「シークヮーサー」くらいか。現時点では尚早であろう。

 

***** 2026/8/17 *****

 

縦書きの憂鬱

いつも適当に「忙しい、忙しい」と周囲には吹聴しているけど、この夏はそれを言う間もないほど忙しい。仕事場が変わったせいもある。暑中見舞いを出す暇もなく、残暑見舞いの季節になったところでそれに変わりなく、さすがにこのままじゃマズいと、どうしても外せぬ人には出そうと試みたのだけど、結局誰にも出せぬままついに8月も半ばを過ぎてしまった。

今日はようやく時間ができたので、どうしても出さなければならない相手への残暑見舞いに着手。しかし、いろいろ考えた末にハガキではなく、便箋にしたためることにした。時合を逸したという負い目だけではない。その相手が小説家という特殊な職業に就いているからである。

ただ、実際書こうとしてもなかなか上手く書けない。だいたいが、縦書きで文章を書くという行為があまりに久しぶりである。最近では、祝儀袋に自分の名前を書いた程度ではないか。便箋にのたうち回るミミズの如き己の文字を見て寒気まで覚えた。案外、暑さ凌ぎには効果的かもしれない。

新聞や小説においても横書きが登場する世の中である。もはや縦書きの日本語を探すのも難しい時代にあって、競馬専門紙ではメジャーな一紙を除いて従来通りの縦書きの文化を貫いている。とはいえ、それとて冷静に見れば予想と厩舎コメントと馬名あたりが縦書きなだけであって、調教欄や騎手名、あるいは馬柱の中身はすべて横書きではないか。馬柱の成績欄がずらっと縦に列んでいるから「縦書き」のイメージが先行するのかもしれない。

ところで、よく「昔の横書きは右から読んだ」みたいな話を聞いたり、実際にそういう看板なり見出しなりの写真を目にしたことがあると思うが、これは厳密には間違い。

例えば、今日の札幌記念に出走していたゼンダンハヤブサを縦書きにするとこうなる。

    ゼ
    ン
    ダ
    ン
    ヤ
    ハ
    ブ
    サ

これを1行4文字で縦書きすると。

    ハゼ
    ヤン
    ブダ
    サン

同じように1行2文字の縦書きなら。

   ブハダゼ
   サヤンン

もし1行1文字であれば。

 サブヤハンダンゼ

つまり、そもそもが「横書き」なのではなく、1行1文字のれっきとした「縦書き」なのである。政府の奨励もあって日本語の横書き化が始まったのは、少なくとも戦後になってから。そう考えれば、横書きの歴史なんてまだまだ浅いということだ。

 

***** 2026/8/16 *****

 

不成立と分割のアンマッチ

昨日も書いたように、今日の中京2レースは本来なら2歳未勝利戦のはずだった。それが申込頭数不足のため不成立となり、代わりに4レースに予定されていた3歳未勝利戦が分割されている。2つに分けても15頭立てのレースを2つ編成できることを思えば、3歳未勝利の方は逆に馬が集まり過ぎていたわけだ。

分割により除外を免れた馬は12頭。ラッキーだったことは確かだ。しかし、番組と現場との間でアンマッチが起きていた事実は重い。そもそも昨年の同じ週の2歳未勝利戦も7頭しか集まらなかった。一方で、昨年は芝1400m(15頭)と芝1600m(17頭)の2鞍が実施された3歳未勝利戦が、今年は芝1400mだけに絞られていた事実は見逃せない。こういう状況になることは、ある程度予想されていたわけだ。

昔はそんなことを気にする余裕もなかった。顕著な例として、1961年7月29日の札幌競馬を紹介したい。この日行われたのは全7レース。その頭数はこの通りだ。

 第1R:3頭
 第2R:4頭
 第3R:6頭
 第4R:3頭
 第5R:4頭
 第6R:3頭
 第7R:4頭

なんと、1日の全レースをわずか27頭でこなしたのである。ちなみに、これがJRAの1日最少出走馬記録。「4頭以下は不成立」なんていう現行ルールを持ち出せば、ひと鞍しかレースを行えないことになる。これでは面白い競馬は期待しようがない。なのに、当日の入場者は1889人と記録されている。個人的には「良く入った」と思わないでもない。

これでは配当に妙味など期待しようもなく、当時の枠単(枠番連勝単式)で100円台の配当が4回もあった。確かにつまらない競馬ではある。しかしそれはそれで関係者が頭数確保に必死に取り組んだ結果だった。「冬の時代」を支えた先人の、苦労と努力を忘れてはいけない。出走頭数に下限を設けて少頭数競馬を避け、たとえ5頭立てになったとしても、3連単が用意されている我々は、まだ幸せな方だ。

少頭数競馬はファンには興醒めであろうが、陣営にとって申込が規定頭数に届かずレースが不成立になってしまうことほど切ないことはない。それが秋の3歳未勝利戦だったりすると泣きたくなる。

JRAにおける前回の不成立は2009年9月13日まで遡らなければならない。この日の新潟4レースに予定されていた3歳未勝利戦は、出走申込が3頭に留まり不成立、取り止めとなった。未勝利脱出を期していた3頭の陣営にしてみれば、これ以上の痛恨事はあるまい。せめてもう3頭どうにかならなかったのか。いや、このまま3頭立てでレースをやらせてほしい。未勝利戦がひとつ消えるということは、一頭の馬の未来が奪われるに等しい。

一方で、今日の中京2レースを勝ったヤマニンアレシスは、レース分割がなければ除外対象だった。時季が時季だけに、陣営は2歳戦の不成立に感謝したに違いない。とはいえ、ウマの一生を左右しかねぬ不成立は重大問題である。アンマッチはなぜ起きたのか。その検証は必要であろう。

 

***** 2026/8/15 *****

 

3頭立ての万馬券と元返し

明日の中京2レースに予定されていた2歳未勝利戦(芝2000m)に出走申込が3頭しかなかったため不成立、レースは取り止めとなり、4レースに予定されていた3歳未勝利戦が分割競走となった。規程では「申込馬が4頭以下(3歳の未勝利競走については5頭以下)の場合は、その競走を取りやめる」と定められている。それを「珍事」と報じたメディアもあった。たしかに最近は聞かなくなったが、ちょっと前までは不成立も分割も無かったわけではない。

ちなみに、2023年5月6日の船橋5レースの2歳新馬戦は3頭立てで行われた。5頭未満で不成立のルールは、JRAも地方も同じ。いったいなぜか?

答えは単純。もともと5頭立てだったのに、2頭が競走除外となったため。むしろ除外の理由が珍しい。理由は「事故」と発表されたが、実際には満2歳の誕生日が来ていない馬はデビューできないというルールに抵触したため。それなら出馬投票の際に気づきそうなものだが、そこで気づかなかったあたりが「事故」たるゆえんか。

いずれにしても3頭だけのパドックは異様である。1頭が先出しになったので、騎手が騎乗するときは2頭だけになっていた。ここからパドックを観た人は、「マッチレースでも始まるのか?」と思ったかもしれない。

レースはポンとゲートを出たルージュノデンゴンがそのままハナを奪う。クラングファルベ、エミノマジェスティの順で直線に向くと、ルージュノデンゴンがさらにもうひと伸び。結局ルージュノデンゴンがクラングファルベに4馬身の差をつけて1着ゴールを果たした。2着クラングファルベ、3着エミノマジェスティだからスタート直後の隊列のまま順位は変わらなかかったことになる。

1番人気、2番人気、3番人気での決着で、3連単の配当が140円だったのに対し、馬単は150円と3連単を上回った。実質的にはほとんど同じ馬券。ただし3連単には競走中止や失格のリスクを伴う。いずれにせよ3頭立てでは高配当を望むのは難しい。

しかし、JRAにはこんな記録も残されている。1953年7月22の福島9レースは4歳未勝利戦。奇しくも3頭立てだった。

 ①枠 ワカミドリ 54 梶
 ②枠 フジタカ 54 本郷
 ③枠 オトワメイヂ 52 蛯名

人気はオトワメイヂ、ワカミドリ、フジタカの順。ところが結果は人気とは真逆のフジタカ、ワカミドリ、オトワメイヂの順に入線した。それで枠番連勝単式②→①の配当は10030円である。3頭立ての万馬券は空前にして絶後であろう。誰もが驚いた配当の原因は、当時は事前のオッズ発表がなかったため。リアルタイムのオッズが発表される今なら、こんな美味しい配当をファンが見逃すはずがない。

ちなみに、南関東のルールでは3頭以下のレースでは、複勝、枠連、枠単、ワイド、3連複は発売されないことになっているが、件の船橋での3頭立て競馬は、馬券発売開始後に2頭が除外されたため、これらの馬券も発売され続けた。もちろん100円元返し。しかし損をすることも決してない。ゲン担ぎのために3連複馬券を買うファンの姿もちらほら見かけた。普通なら「確実に当たる馬券」などあり得ない。それが競馬の常識だが、主催者の「事故」が稀有な例外を産んだ。「珍事」と呼ぶならこれくらいの出来事であってほしい。
 

***** 2026/8/14 *****

 

夏の想い

来週の新潟で行われる飯豊特別の写真を探していたら、1995年の優勝馬エナジーストーンが勝ったカットが出てきた。ジェイドロバリーの初年度産駒。生産牧場は社台ファームだが、生産地は「白老町」とある。彼女が産まれた1992年の社台ファームは吉田善哉氏の時代。ノーザンファームも、追分ファームもまだ誕生していない。それで今日8月13日が吉田善哉氏の命日であることを思い出した。

1995年 飯豊特別 エナジーストーン 坂井千明

日本国内のみならず、今や世界に冠たる社台グループの創設者にして、吉田照哉、勝己、晴哉、3兄弟の父、吉田善哉が亡くなったのは、今から33年前の1993年8月13日。となれば、最後に見届けたであろう重賞レースは8月8日に行われた関屋記念に違いない。勝ったのはマイスタージンガー。社台ファーム産のスリルショー産駒で、蛯名正義騎手を背に1分33秒7で逃げ切ってみせた。その2年前の関屋記念はニフティーニース。そのまた2年前はミスターブランディ。いや、そもそも関屋記念に限らず、社台の生産馬は新潟に強かった印象が強い。なにせ善哉氏は新潟馬主会の所属である。

1940年春、岩見沢農業高校を卒業した吉田善哉さんは、父が経営する社台牧場の千葉富里分場長に就任した。ただし、この時点では「社台ファーム」ではない。始まりは1955年。千葉富里分場を「社台ファーム」と名乗り、善哉さんは社台牧場からの独立を果たす。これが社台グループの起源。40町歩ばかりの土地と、繁殖牝馬わずか8頭という船出だった。

その後、善哉さんは白老や千歳、早来にも牧場を展開。白老に繁殖牝馬、千歳と早来は生産馬の育成、富里は現役競走馬の休養調整という役割をそれぞれ担い、現在の社台王国の礎を築きあげたのである。

中でもグループの実質的な出発点は白老の「社台町」。その地名はアイヌ語の「シャ・タイ・ペッ(浜側の林の川)」に由来する。善哉氏の実家にあたる社台牧場の敷地には、たしかに一筋の川が海に向かって流れていた。馬たちは毎朝その川を渡って対岸の放牧地へ向かい、日が暮れると再び川を渡って厩舎へと帰るのである。若き善哉少年も、馬たちと一緒にその川を渡っていたかもしれない。

エナジーストーンは善哉さんが導入したジェイドロバリーの初年度産駒。しかし、その走りを見届けることなく、善哉氏はエナジーストーンが1歳の夏に亡くなってしまった。その2年後にエナジーストーンは飯豊特別を快勝する。2着パワースイープも社台ファームの生産馬。亡くなってもなお新潟での存在感を誇示せんとする善哉氏の想いを見た気がしてならない。

それにしても先週の野平祐二氏の命日から、ちょうど1週間後に吉田善哉氏の命日がやってくるのは奇縁というべきか。ちなみに野平氏の命日のちょうど1週間前、7月30日はディープインパクトの命日でもある。日本の競馬に大きく寄与した三者の命日が続く3週間。現在の日本競馬の屋台骨を築いてくれた偉大な存在への、感謝の想いを深めるひとときとしたい。

 

***** 2026/8/13 *****

 

世代交代か、ベテランの意地か

恒例となった大井のお盆開催。初日のメインには武蔵野オープンが組まれた。

かつてはマキバサイレント&マキバスナイパー姉弟や、ドラールクラウンといったチャンピオンホースが勝ち馬に名を連ねた由緒あるレース。近年ではゴーディーが6度の参戦で3度の優勝を誇ったように、リピーターの活躍が目立つ短距離戦に様変わりしつつある。今年も昨年の1・2着馬が参戦。そこに評判の上がり馬が挑戦するとあって、オープン特別ながら興味深い一戦となった。

その上がり馬というのがブルーヒサシン。大井生え抜きの4歳馬で、ここまで13戦して(9,3,1,0)だから1番人気も頷ける。しかも前々走まで怒涛の9連勝を達成していた。とはいえ見方によっては、前走で連勝が途切れたのはクラスの壁にぶつかった可能性がある。なにせ今回は初めてのオープン馬相手。ベテランやリピーターが活躍するレース傾向も見逃せない。こうしてけなげな穴党は重箱の隅をつつく。

ブルーヒサシン

穴党のオジさんがベテラン贔屓に走ることを許してほしい。ともあれ昨年の覇者マックスが7番人気に留まっているのは意外だ。今や希少なゴールドアリュール産駒も気がつけば9歳になっていた。とはいえ昨秋の東京盃5着、JBCスプリント9着の実績は、ここではじゅうぶん格上に相当する。ゴーディーがこのレース3勝目を挙げたのは9歳時のことだった。

マックス

しかし、それよりも狙ってみたいのは昨年2着のドリームビリーバーの方だ。JRA重賞2勝のエヒトの弟とくれば、7歳とはいえ老け込むにはまだ早い。とにかくこの馬の勝負のカギを握るのは、末脚が届く流れになるかどうか。その一点に賭けて単複勝負。単勝は60倍の大穴だ。

ドリームビリーバー

レースは最内枠から8歳馬ユスティニアンが渾身の逃げ。しかしブルーヒサシンも好発から楽々と2番手を追走している。この時点で勝負あり。直線に向いてアッサリ先頭に立つと、食い下がる7歳フルムを振り切り、6歳ディキシーガンナーの強襲も退けて先頭ゴールを果たした。着差はクビだが、その手応えには余裕があったことは書き留めておきたい。何よりまだ4歳。父ポアゾンブラックの代表産駒となる可能性も秘めている。

2026年 武蔵野オープン ブルーヒサシン 藤田凌

僅差の4着にはドリームビリーバーが粘り込んだ。思わぬ好スタートを決めたおかげで、普段よりも前での競馬になったが、不良馬場を考えれば正解であろう。複勝を買っていた馬が4着なら悔しいはずだが、今日のところは清々しい充実感を覚えた。7歳とはいえ衰えなど微塵も感じない。若さと上り馬の勢いに屈した形だが、今日は11頭立て。もしこれがフルゲートの激戦になれば、ベテランのキャリアや経験がモノを言うこともある。果たして、この路線の世代交代は起こるのか。その答えは来月のアフター5スター賞で明らかになりそうだ。

 

***** 2026/8/12 *****

 

ダブルブッキング

今を遡ること20年前。2006年5月7日のことである。盛岡競馬場で行われるシアンモア記念に出走するサクラカチドキに騎乗する石崎駿騎手が、同日の大井ナイター開催でも4つのレースに騎乗する形で枠順が確定発表になった。

いわゆるダブルブッキング。想定段階では稀にある。しかし、気付かれないまま新聞掲載までされてしまった例は極めて珍しい。このときは盛岡の出走表に「石崎駿」の名を見つけた大井の関係者が、石崎駿騎手の騎乗予定をすべて乗り替わりにしたことで、さほど大きな混乱には至らなかった。変更理由が「事故」というのは穏やかではないが、まあ彼らにすれば事故のようなものであろう。

まさかダブルブッキングなどとは思いもしなかった私は、昼間は盛岡の重賞に乗って、ヘリで大井に移動したのち、ナイターにも乗るというデットーリ騎手ばりの移動をこなすのかと思った。仮に実現していれば、まさに離れ業と言えよう。

しかし上には上がいた。かつて野平祐二騎手はひとつのレースで2頭に騎乗するという“超離れ業”を演じたことがある。まさに究極のダブルブッキング。しかも舞台は有馬記念というから驚くほかはない。いや、そんなバカな!と笑うであろう。でも、こちらを見て欲しい。レースの結果を伝える新聞のコピー。断っておくが、これは誤記・誤報・捏造の類ではない。

タネを明かせばこうなる。1971年の暮れに馬インフルエンザが蔓延したことがそもそもの始まり。有馬記念とて例外ではいられず、直前になってメジロアサマ、カミタカ、アカネテンリュウと出走取消が相次いだ。アカネテンリュウの手綱を取るはずだったのは野平祐二騎手。この時点で祐ちゃんの有馬記念は終わったかに見えた。

だが、有馬記念の2つ前に行なわれた寒暁特別で、クロスニットに騎乗していた津田騎手が、かえし馬の最中に落馬。全治1か月もの重傷を負ってしまう。津田騎手は有馬記念でコンチネンタルに騎乗予定だが、むろん騎乗は叶わない。それで手が空いていた祐ちゃんに手綱が回ってきたというわけ。だからダブルブッキングではない。無欲のまま騎乗したコンチネンタルはブービー人気という低評価にも関わらず、見事2着に入って暮れの大一番を盛り上げた。

その有馬記念から実に55年もの歳月を経た令和の盛岡に、再び同一レース2頭騎乗の快挙を為した騎手を見つけたのである。

今日のクラスターカップの出馬表に、兵庫の吉村智洋騎手の名前がふたつ刻まれた。もともと大井のボナンザに騎乗予定だったが、馬体故障のため出走取消。これで吉村騎手の遠征も消えたかに見えたが、JRAの有力馬ポットベイダーに騎乗予定だった荻野極騎手が日曜新潟で落馬負傷したため、そちらにスライド騎乗することになったのである。

結果は勝ち馬から離された4着。さすがに3番人気では「無欲の騎乗」とはいかなかったか。しかしこうした「同一レース2頭騎乗」は、技量が認められていることの証。そういう意味では誇るべき快挙であろう。

 

***** 2026/8/11 *****