ホルモン文化

大阪から東京に戻ってきて思うのはホルモン文化の違い。そもそも「ホルモン焼き」という料理自体が大阪発祥と聞いた。そうなればやはり大阪に一日の長があるのも頷ける。ともあれ美味いホルモンが食べたくて仕方ない。これは「きつねや」のホルモン丼でも掻き込まねば収まらんぞと、築地へ足を運んだら20人以上が列を為していたのでひっくり返った。

「きつねや」は創業77年の歴史を誇る老舗。牛の小腸や肺を赤味噌でじっくり煮込んだ甘辛い煮込みがご飯とよく馴染む丼は、たしかに並んででも食す価値がある。しかし、こんなに混んでいるとは思わなかった。さすがにこの猛暑の中で並ぶ気にはなれぬ。

よくよく見れば、並んでいるのはほとんどが外国人観光客ではないか。肉食文化の本場たる欧米や中国、韓国の皆さんに受け入れられたのだとすれば、我が国のホルモン文化も捨てたものでもなさそうだ。

「ホルモン」の語源はドイツの医学用語説が有力とされるが、もともと日本では廃棄していた部位だったことから「放るもの=ホルモン」と名付けられたという関西弁由来説は今なお根強い。実際大阪でホルモン三昧の日々を過ごしてみると、あながち俗説と捨てきれぬ奥深さがあった。一方で、かつてホルモン天国だったはずの競馬場からは、ホルモンがその姿を消しつつある。大井競馬場名物の「煮込み丼」も、今や2店舗でしか食べることができない。

「DON94」はGフロント1階のフードコートに軒を構える肉系丼の専門店。「特製豚モツ煮丼」は580円と安い。

Lウイング2階「煮込みとビールのお店 253 by STAR LIGHT」は、店名に煮込みを謳うだけあって、煮込みに絶対の自信を持っている。味付けは味噌と旨塩の2種類あるが、どちらも美味い。そもそもホルモンが違う。下の写真は旨塩の煮込み丼。950円と少々値は張るが、牛のホルモンは新鮮で柔らかく、様々な部位が楽しめる。コンニャクではなく小さな厚揚げが入っているのも嬉しい。

煮込み丼という形態に限ればこの2軒のみ。もはや絶滅危惧種と言って良かろう。そもそもホルモンを使ったメニュー自体が減少傾向にある。かつて赤モツ・白モツを求める客で行列が絶えなかった「幸福堂」も、いつの間にか閉店してしまった。

大井にかつての栄光を取り戻すべく、「サンタアニタウィーク」ならぬ「ホルモンウィーク」を開催するといのはどうだろう。開催期間中はホルモン料理が格安で振る舞われ、メインレースは「ホルモントロフィー」。優勝馬のオーナにーにはホルモン一年分が贈られるのである。さらにステージゲストにマキシムザホルモンを呼べば完璧。関係者は是非ご一考頂きたい。

 

***** 2024/9/12 *****

 

手紙

アフター5スター賞大井競馬場から帰宅すると、長い手紙が届いていた。

2024年 アフター5スター賞 エンテレケイア 吉原寛人

差出人の名前を探す必要はない。その独特の筆跡で誰だか分かる。そろそろ来る頃合いという予感もあった。差出人は小説家の吉川良氏、その人である。

毎度のことだが、氏の筆はあまりに達筆なので読むのに一定の慣れを要する。だが仮に読めない文字があっても、そこを読み飛ばしたりしてはいけない。その場合は最初から読み直す。それを繰り返すうちにすんなり読めるようになるから不思議だ。つまり、書き手ではなく読み手に問題があることの証である。

最後まで読み終えたところで、ひとしきり考えた。長い手紙なので頭の整理が必要となる。要するに「人それぞれの違い」について書かれていた。ひとことで言ってしまえばそれだけの話。しかしもちろん手紙に書かれている文章はそんなに単純ではない。ましてや相手は小説家。手書きされたその一文字一文字には目に見えぬ魂が宿っている。その文字をゆっくりと辿り、魂をそっと手に取り、意志として汲み取らなくてはならない。SNS慣れした若い人たちには理解できぬ作業であろう。

人それぞれが違うように馬も一頭一頭違う―――。不意に、そんなことが頭に浮かんだ。

社台や日高の牧場に行けば、ひがな一日放牧地で馬を見て過ごす。当歳馬でも1歳馬でもいい。最初のうちは「たくさんの馬たち」である。ただ飽きずに見ていると、ふと気が付くことがある。あいつが歩く時の前脚の出し方は他のヤツとちょっと違うんじゃないか。

それでさらにジッと見ていると、立ち止まった時の前脚の角度からして違うような気がしてきた。いや、明らかに違う。なぜ今まで気が付かなかったのか。

モノを「見る」、あるいはモノが「見える」という言葉は、つまりこういう意味を含んでいる。私が近視の上に老眼でしかも緑内障を患っているとはいえ、それでも私の目に馬は「見えて」いる。四本脚で、栗毛で、額に星があって、左後一白で……と言う具合に。しかし、それだけでは本来の「見える」の意味に足りてはいない。「違いがわかる」ことこそが重要なのだ。そもそも一頭一頭は間違いなく違う。

「見る目がある」と書けば、言わんとするところが分かってもらえるだろうか。むろん「見る目」には知識も必要となる。が、それより先に違いが見えてこなければ始まらない。それがあって初めて能書きが始まる。相馬眼はその最たるもの。みな同じものを見ているはずなのに、違いに気付く人だけが億のカネを子馬につぎ込むことができる。

スペシャルウィークが勝った秋の天皇賞で、氏に「もっとヒトにも目を向けろ」と言われたことを思い出した。四半世紀も昔の出来事である。あの時は氏のおっしゃる意図が分からなかったが、今日の手紙にその秘密を解くカギが隠されているのかもしれない。そんなことを考えつつ秋の夜は更けてゆく。もう一度最初から手紙を読み返すとしよう。

 

***** 2024/9/11 *****

 

【太麺礼賛⑦】東京築地やよい麺のやよい麺

今週のセントライト記念はコスモキュランダが人気を集めそうだ。皐月賞2着の実績からすれば当然であろう。なにせ筆者のダービー本命馬。気にならぬはずがない。

コスモキュランダは同じ中山で行われた弥生賞ディープインパクト記念を勝っている。ディープインパクト記念とセントライト記念。どちらも中山で行われる3歳クラシックのトライアルであり、歴史あるGⅡであり、数少ない競走馬の名が冠されたレースでもあるわけだが、この両方を勝った馬は実は意外と少ない。シンボリルドルフバランスオブゲーム、そしてコスモバルクの3頭のみ。コスモキュランダが勝てばコスモバルク以来20年ぶりとなるわけだが、同じ勝負服で皐月賞2着も同じであることを思えば、両レース制覇の可能性は高いように感じられる。

2004年 セントライト記念 コスモバルク 五十嵐冬樹

弥生賞のことを考えていたら、とある店のラーメンが食べたくなった。

かつて築地の外れに暖簾を掲げていた町中華「築地やよい麺」がその一軒。店名は「やよい軒」ではなく「やよい麺」であることに注意してほしい。筆者は10年ほど前に足繁く通った。看板メニューは店名そのままの「やよい麺」。うどんと見まごうばかりの極太麺を使ったラーメンには、唐辛子で炒めた野沢菜と豚肉が大量に乗っている。これが美味い。白飯にかけて丼にして食べる客が続出して、ついに「やよい丼」も正式メニューに追加されたほど。しかし筆者はラーメンで食べたい。具材からスープにとけ出す旨みと辛さが極太麺に絡み合う。その官能的なまでの旨さに抗うことができなかった。ところが、店主夫妻が高齢であったこともあり2年前に惜しまれつつ閉店。40年の歴史に幕を降ろしたと聞いている。

しかし最近になって「やよい麺復活」の噂を耳にするようになった。いったいどういうことか。こんな季節に弥生賞のことを考えたのも何かの知らせであろう。というわけで、さっそく行ってみた。

店の場所は以前と変わっていない。通りからはほとんど分からないのもかつてのまま。しかし暖簾に書かれた屋号だけが微妙に変わって「東京築地やよい麺」となっている。

10年前の記憶で定かではないが、やよい麺のやよい麺たる「アタマ」、すなわち具の方はかつてと同じ。シャキシャキした歯ごたえにクセになる辛さ。間違いない。ただ麺が違う。太いことは太いのだが、こんなに縮れていただろうか。10年も経てば仕入先が変わってもおかしくはない。ただゴワゴワの食感は当時のまま。啜るのではなく噛むのである。

やよい麺はめでたく復活したわけだが、「セントライト麺」というのはどこかにあるんですかね。あるはず無いよなぁ。でも、世の中なにがあっても不思議ではない。なにせ「コケコッコー麺」がある世の中だ。セントライト記念にもあっと驚く展開があるか。それでも勝つのはコスモキュランダであってほしい。

 

***** 2024/9/10 *****

 

女を取るか、男を取るか

今週末のJRAは敬老の日を含めた土日月の3日間開催。しかも、3場を2場ずつ組み合わせた3日間ではなく、中山・中京だけで72レースをぶっ通す。重賞は、土曜に阪神ジャンプS、日曜にローズSが中京で行われ、月曜は中山でセントライト記念と興味は尽きない。果たして心身および財布は月曜まで持つのか? 気に病む人もゼロではなかろう。

このパターンの3日間開催が初めて行われたのは2012年のこと。この年から秋の札幌開催がなくなり、その開催日の一部が中山と阪神に割り振られた。ただし、今年は阪神改修工事のため、中山と中京という組み合わせになる。

2023年 ローズS マスクトディーヴァ 岩田望来

かつてローズSは10月に行われていた。それが9月に繰り上がった1996年以降、中山のセントライト記念阪神のローズSはずっと同じ日に実施されてきたという歴史がある。しかし3日間開催のおかげで、それぞれを別日で施行することが可能となった。これがとても大きな出来事だったのである。いったいなぜか?

セントライト記念とローズSは、夏を越した3歳馬が久しぶりの実戦を迎える大事なレース。どちらもGⅡで、その先にあるGⅠを占う上で重要な意味を持つ前哨戦だ。だが、それぞれ牡馬と牝馬で路線が異なる。一流ジョッキーともなれば、春のクラシックを湧かせた牡馬と牝馬をそれぞれ一頭ずつ抱えているもの。その2頭が同じ日の関東と関西に分かれて出走するとなっては、片方の騎乗を諦めなくてはならなくなる。牡馬と牝馬の3歳路線では春から秋にかけていくつもの重賞レースが行われるが、同じ日に東西で牡馬と牝馬の3歳重賞が行われるのは、年間を通じて実はこの日だけだった。

2011年は後藤浩輝騎手がローズSのエリンコートに乗るため、セントライト記念ベルシャザールに乗れなかったし、2010年は柴田善臣騎手もラジオNIKKEI賞を勝ったアロマカフェに乗れなかった。さらにこの年は、蛯名正義騎手も3連勝中のヤマニンエルブへの騎乗を諦めてローズSでの騎乗を選んでいる。アパパネの始動戦とあれば、それも仕方あるまい。

騎手にとっては、春シーズンが終わった時点で、ひと夏を越した愛馬の成長を楽しみにしていたはず。それが叶わないというのは切ないだけでなく、他人に手綱を取られるという不安もつきまとう。実際、2008年のセントライト記念マイネルチャールズに騎乗した松岡正海騎手は、同日のローズSに出走するブラックエンブレムの手綱を岩田康誠騎手に譲らざるを得なかった。ブラックエンブレムはローズSで3着に敗れるが、秋華賞でもそのまま岩田騎手とのコンビで出走。見事優勝を果たしている。もしセントライト記念とローズSの日程が1日でもずれていれば、松岡騎手が秋華賞を勝っていたかもしれない。

この日程を問題視する声は当時から挙がっていた。しかし、ローズSは日曜の競馬中継を受け持つ関西テレビ放送の冠レースであることから日曜以外の実施は難しい。セントライト記念にしても、売上面などでハンデのある土曜の実施には難色が示されてきたという経緯がある。

2023年 セントライト記念 レーベンスティール J・モレイラ

むろん乗り替わりによるプラス面や、そこに潜むドラマ性を否定するつもりはまったくない。ただ、調教師やオーナー、あるいは馬券を買うファンにしても、成長具合を確かめるには春と同じ騎手が乗った方が良いと考えるはず。成長著しい3歳馬の、秋の緒戦くらいは無用な乗り替わりがない方が良かろう。ただし、せっかく別日になったローズSとセントライト記念を続けて勝った騎手はまだいない。今年あたり誰か達成してくれないだろうか。

 

***** 2024/9/9 *****

 

【訃報】ラブミーチャン

先月末、NARグランプリの2009年と12年の年度代表馬に選出されたラブミーチャンの訃報が報じられた。17歳は早い。彼女の快速ぶりを彷彿させるかの如く、圧倒的なスピードで天国へと駆け抜けて行ってしまったような、そんな印象さえ受ける。

2013年 東京スプリント ラブミーチャン 戸崎圭太

ラブミーチャン。一度耳にしたら忘れない印象的な馬名は、実は改名によるものだったことをご存じだろうか。JRAでのデビューを目指し、2歳の5月に栗東へ入厩。冠名の「コパノ」に、母ダッシングハニーの名前の一部を取って「コパノハニー」の名で馬名申請も通った。だが、期待に反して体調が上向かず、調教のペースがなかなか上がってこない。

そこで風水の第一人者である小林オーナーは決断を下す。彼女の持つ運からJRAは合わないかもしれないと風水的に良い方角の地方笠松へと移籍させ、さらに馬の持つ運と名前が合っていないと判断して「ラブミーチャン」と名前を変えた。この愛らしい馬名には「自分を大事にして」という願いが込められていたという。

2歳10月に笠松でデビュー勝ちを果たすと、2戦目のジュニアクラウンも完勝。3戦目には早くもJRAに挑戦し、京都のダート1200mを2歳レコードで駆け抜けた。続く兵庫ジュニアグランプリ全日本2歳優駿も勝って、5戦無敗の完璧な成績で2歳シーズンを終えている。2歳馬としては史上初となるNARグランプリの年度代表馬にも選ばれたのも当然であろう。

2009年 全日本2歳優駿 ラブミーチャン 浜口楠彦

その後の活躍はご存じの通り。南関東を根城にする筆者にとっては、レース創設から3連覇した習志野きらっとスプリントの印象が強い。まさにワンターンの女王。いまや地方競馬の名物シリーズとなった「スーパースプリントシリーズ」は彼女の活躍なくては定着しなかったかもしれぬ。

2013年 習志野きらっとスプリント ラブミーチャン 森泰斗

圧巻は3連覇を果たした2013年。1000m重賞で5馬身差の勝利例はほかに記憶がない。同じ船橋1000mで行われたJBCスプリントをサマーウインドが逃げ切った時もぶっちぎりだった印象があるが、それでも4馬身差だった。

この直後のクラスターカップも勝ったラブミーチャンは重賞4連勝。6歳での成績を6戦5勝とし、金沢で行われるJBCスプリントに向けた調整を進めていた矢先のことだった。右前内側種子骨の骨折による突然の引退。悲願のJBCタイトル奪取はもちろん、金沢を残すのみとなっていた地方競馬全場踏破の偉業も目の前で潰えた。競馬の神様は時にひどいことをなさる。

2013年 東京スプリント ラブミーチャン 戸崎圭太

しかし、それで彼女の功績が陰るわけではない。通算18勝。重賞16勝。しかもそのうちの5勝がJRA牡馬相手のダートグレード競走だから中身の濃さが違う。それは全国各地の競馬場で彼女に声援を送ったファンがいちばんよく分かっているはず。今日韓国で行われたコリアスプリントがあと5年早く創設されていたら、リメイクよりひと足先にラブミーチャンが連覇を果たしていたと固く信ずる。

先週土曜の札幌5レースで2歳新馬でデビューしたコパノハーンはラブミーチャンの孫。快速の血は繋がっている。あさってから始まるの笠松開催3日間のメイン競走は「ラブミーチャン追悼競走」として行われるそうだ。馬券だけでも参加したい。

 

***** 2024/9/8 *****

 

まだまだ暑い秋の陣

秋競馬が始まって、競馬も私も東京に帰ってきた。なのに暑い。今日の東京の最高気温は33.8度。札幌帰りの身には堪える。馬も同じかもしれない。秋と言いつつその実は―――。これを頭の片隅に置いて馬券に向き合おう。明日は「オータム」ハンデキャップ。しかし「サマー」マイルシリーズの一戦でもある。

実際に夏競馬と秋競馬が混ざり合うメンバーになることが多い。ローカルを走り続けてきた馬たちと、夏場を休みに充てた実績馬たちの激突。しかもハンデ戦。力の比較は難しい。しかもアスコリピチェーノの参戦で難解さはさらに増した。課されたハンデは55.5キロ。古馬の牡馬に換算すれば59.5キロに相当する。陣営は「想定内」としながらも、ハンデ発表前は54キロ前後を想定しているフシもあった。同じ55.5キロのハンデを不服として、3歳牝馬のピューロマジックが北九州記念を回避したことも、まだ記憶にも新しい。

アスコリピチェーノ

2歳チャンピオンが3歳春のGⅠ戦線で惜敗を重ね、秋の始動戦に京成杯オータムハンデを選ぶ―――。似たケースとして、3年前のグレナディアガーズが思い浮かぶ。秋の目標を米国ブリーダーズカップに据えたことで、日程的にこの京成杯AHが選ばれた。そのハンデは56キロ。ハンデというのは相対的なものなので、単純比較はできないのだが、アスコリピチェーノよりは恵まれている。それでも結果は3着。思ったより軽ければ勝てるというほど単純ではない。

もっと昔には、皐月賞馬のジェニュインが3歳秋シーズンの目標を天皇賞と定め、京王杯AH(※当時)から始動して話題となった。課されたハンデは57.5キロ。59.5キロを課されたサクラチトセオーと実質的に同じ評価だったわけが、サクラチトセオーはこのハンデを不服として回避している。ジェニュインを管理する松山康久調教師も不満を隠さなかった。結果1番人気に推されるも、ゴール寸前で軽量53キロのドージマムテキに強襲されアタマ差敗れてしまう。

1995年 京王杯AH ドージマムテキ 柴田善臣

グレナディアガーズにせよ、ジェニュインにせよ、従来の3歳秋シーズンとは異なる路線を歩もうとしていた点では一致している。旧来のレース体系の枠組みにとらわれない活躍を目指せば、まだ夏の気配が残るハンデGⅢにも白羽の矢が立つのであろう。出走は実現しなかったものの、ライトバックやブレイディヴェーグが先週の新潟記念を秋の始動戦に選んでいたことも、まるで無関係とは言えまい。

今年の京成杯AHの出走馬をあらためて見渡してみれば、2頭のGⅠ馬を含めて9頭もの重賞ウイナーが顔を揃えた。残る7頭の中でも5頭までにオープン勝ちの実績がある。軽ハンデを見越した条件馬はゼロ。これほどのメンバーが揃った京成杯オータムハンデは記憶にない。今回のハンデが総じて重く感じられるのは、レースレベルを裏打ちするものであろう。なにせ重賞未勝利のディオですら57.5キロを背負わされた。注目はアスコリピチェーノだけではない。アツいのは陽気だけではなさそうだ。

 

***** 2024/9/7 *****

 

あれから6年

今日9月6日は北海道胆振東部地震の発生日。道内のテレビは朝からそれを報じていた。日本屈指の馬産地を唐突に襲った大地震から丸6年になる。

安平、厚真、むかわ、日高、新冠。テレビから馴染みの地名が繰り返し聞こえてきて不安が増した。厚真町で発生した大規模土砂崩れの空撮映像には言葉を失った覚えがある。平取からノーザンファームに向かう際によく使うルート。遥か向こうの山並みまで、およそみえる範囲の山という山は、斜面が崩れて茶色い山肌を晒していた。

厚真町内(2018年10月撮影)

あれから6年。新千歳空港の出発ロビーはお土産を買い求める客でごった返している。あの日、すべての航空機の運航が停止し、空港全体が閉鎖されたことが嘘のようだ。

筆者も北海道に来れば人並みにお土産を買って帰る。

札幌や函館の競馬開催に加え、牧場巡りや競走馬のセール。最近ではそこにエスコンフィールド通いも加わった。地震を経ても北海道を訪れる機会は多い。そのたびに家族へのお土産に頭を悩ましていたのだが、家族もなんだかんだで北海道には詳しいから、最近では土産の品を指定してくれるようになった。これは助かる。

それがこの3点セット。

右端の「ガラナ」は長女のリクエスト。戦後、コカコーラ社の日本進出に対抗して全国清涼飲料協同組合連合会が「コアップガラナ」として発売。その後、北海道以外の地域では海外の飲料に押されて姿を消す中、コカコーラ社の爆撃を逃れた北海道だけに定着したという歴史を持つ。

カツゲン」は次女。こちらは戦前に旧日本陸軍からの要請を受けて北海道製酪販売組合が開発した乳酸菌飲料「活素(かつもと)」がそのルーツ。現在は雪印メグミルクが製造しており、「カツゲン」というその語感から受験生のお守りとしても人気が出ているという。

そして妻は定番の「サッポロクラシック」をオーダー。これに今回は山わさびの醤油漬を加えてみた。山わさびは北海道ではメジャーな薬味で、清流に生える本わさびとは異なり土中に生える。その辛さは本わさびの1.5倍以上とされ、涙が出るほど辛い。札幌競馬場スタンド3階の売店「Tokijiro」(店名は「Two days」として営業)の豚丼にも山わさびがたっぷり入っていた。豚の脂感をさっぱりさせるだけでなく、強烈な辛味が肉の甘味を見事に引き出している。

飲み物も山わさびも道内のスーパーで購入可。お手頃価格というのもありがたい。しかし、おかげで今度は別の問題に悩まされることになった。これらをすべてカバンに詰め込めば、それだけで2~3キロは負担重量が増えてしまう。カメラ機材を含めた総重量は10キロをゆうに超えた。あさっての京成杯AHで実質的にトップハンデを背負わされるアスコリピチェーノの気持ちが分かったような気がする。とはいえ、あの地震のことを思えばどうということもない。お土産を買って帰ることができる幸せを噛み締めよう。

 

***** 2024/9/6 *****