白毛の神秘

先週日曜の東京競馬場ではラーメンばかりたべていたわけではない。競馬博物館で行われた講演会「白毛の遺伝子と毛色のメカニズム」に参加してきた。

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特別展「白毛図鑑 純白のサラブレッド」に伴うイベントのひとつ。アンミカさんはテレビ番組で「白って200色あんねん」と発言して話題になったが、馬の毛色に関しても「白い馬」には白毛以外に芦毛や粕毛、佐目毛などいろいろある。それぞれ白くなるメカニズムは異なっており、そのメカニズムを白毛の遺伝子研究の第一人者である戸崎晃明氏が解説してくれるという。

少なくとも私が競馬を始めた1979年には「白毛」のサラブレッドは存在していなかった。なぜなら「白毛」がサラブレッドの毛色として認められたのが1980年のことだから。その前年に生まれたハクタイユーをめぐって、この年ひと悶着起きている。

父が黒鹿毛ロングエース、母が栗毛のホマレブルという血統。しかしその両親から生まれた牡馬ハクタイユーは生まれた時から真っ白だった。

もし仮に芦毛なら生まれた時は黒っぽく、年齢を重ねるにしたがって白くなっていくはず。そもそも「芦毛馬の法則」によって両親のどちらかが芦毛でなければ芦毛の産駒は生まれないことは、当時から証明されていた。生物界にしばしば見られる「アルビノ」の疑いもあったが、それなら体内の色素がまったく存在しないはず。しかしハクタイユーの瞳は黒く、アルビノの可能性もない。

日本軽種馬登録協会が海外の事例を調査したところ同じ事例が確認されたため、「例外的な扱い」としてようやく白毛が認められるようになった。これが1980年のことだ。

すると1983年に今度はメスの白毛馬カミノホワイトが誕生。この2頭を種牡馬繁殖牝馬にして交配させてみようという動きが現れるのは自然の成り行きであろう。しかし、この試みは上手く行かなかった。

それでもハクタイユーとカミノホワイトは個別に繁殖生活を送り続け、1991年、ついにハクタイユーの産駒に白毛の産駒が誕生。その2年後にはカミノホワイトが白毛馬を出産する。これにより白毛が遺伝することが確認された。これが無ければ現在のような多くの白毛馬が活躍する競馬を我々が観ることは無かったに違いない。もちろんソダシも生まれていなかった。

もう一頭、現在の白毛馬の躍進に大きく寄与した貢献馬がいる。それまで白毛馬の活躍馬はおらず、勝利を挙げるのがやっとという状況だった。その毛色は病気によるものだとか、体質的に弱いので競走馬には向かないと言われる始末。もしそれが本当ならわざわざ白毛馬を繁殖させる意味もない。そんな誤った観念を打ち破ったのが白毛のアイドル・ユキチャンである。ミモザ賞で白毛馬初の芝勝利を挙げると、JRAを含めた全国の強豪がそろう関東オークスでも見事優勝。白毛馬初の重賞ウイナーとなった。

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そのかわいらしいネーミングと武豊騎手との相乗効果で瞬く間に人気が爆発。ジャパンダートダービー白毛馬初のGⅠ制覇を目論んで大井競馬場に向かったが、直前に蕁麻疹を発症して無念の競走除外となった。モノレール浜松町駅のアナウンスで「ユキチャンは競走除外です」というアナウンスが流れて、多くのファンからため息が漏れたのを覚えている。駅で競走除外を知らせるアナウンスを流したのは空前絶後であろう。

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そのユキチャンの弟にあたるシロニイが、今週日曜まで競馬博物館前のパドックで放牧展示されている。展示時間の30分前からパドックに人だかりができていた。白毛馬には人を惹きつける何かがある。白毛の勉強をしたあとに、間近で見る白毛馬は普段にも増して神秘的だった。

 

 

***** 2023/11/22 *****