捲土重来

プロ野球ペナントレースは間もなく開幕から1か月を迎える。セ・リーグで首位に立つのは昨年まで2年連続で最下位に敗れた中日ドラゴンズ。まだ20試合も消化していないとはいえ、見事な変わり身に拍手を送りたい。なにせ開幕前の順位予想で中日優勝を予想した専門家は一人もいなかった。もしこのまま先頭ゴールを果たせば歴史に残る大穴決着となることは間違いない。

プロ野球では前年最下位からの大逆転優勝が8例ある。最近では2021年のヤクルトスワローズが該当。その前は2015年にやはりヤクルトが達成している。ヤクルトは前走着順を問わないテイエムスパーダのようなタイプということになろう。人気が低ければ低いほどマークは外せない。

競馬でも前走しんがり負けからの巻き返しの例はある。ただ、あるにはあるが、やはり数は少ない。旧八大競走に限ればわずか5例に限られる。

1955年の桜花賞馬ヤシマベルは道悪が苦手だった。不良馬場の前走でしんがり負けを喫した直後の桜花賞稍重馬場。それでもヒロイチ以下に完勝だから、調子さえ良ければ多少の馬場条件は克服できるるという好例であろう。前走しんがり負けながら3番人気に推したファンの眼力も鋭い。

同じオーナーの所有馬で1948年のオークスを制したヤシマヒメも、しんがり負けから戴冠を果たしている。もっとも最下位に敗れたと言っても3頭立ての3着。本番も6頭立てとなれば参考外か。

一方で1962年のオークスを制したオーハヤブサは12頭立ての最下位からの巻き返したった。ゲートに難があり、好走と凡走の振幅が激しいタイプだったとされる。

あとは天皇賞カブトシロープリティキャストの2頭。前者は希代のムラ馬として歴史に名を残す存在であり、後者も大逃げを得意としていたせいで、レースごとの明暗が分かれるタイプだった。

ただしプリティキャストに関して言えば、彼女が世界的名牝血統であったことは見逃せない。先に紹介したオーハヤブサ皐月賞馬のケゴンや、朝日杯3歳S馬を勝ったマツカゼオーを兄に持つ良血だった。しんがり負けからの巻き返し優勝に繋がるファクターのひとつとして、「血の覚醒」もあげておきたい。

福島牝馬ステークスでは2015年度にマコトブリジャール愛知杯18着からの巻き返し優勝を果たした。それでも単勝配当は5310円と意外に安い。福島のファンは馬を見る目がある。

エミュー桜花賞出走時)

そして今年の福島牝馬Sには前走最下位の馬が3頭も出てきた。中でもエミューの前走は鼻出血によるもので敗因はハッキリしている。右回りの芝1800mは重賞勝ちを含めて2戦2勝の舞台。さらに母系はアスコリピチェーノと同じという血統の後押しもある。快進撃を続ける中日ドラゴンズにあやかっての巻き返しは、果たしてあるだろうか。

 

***** 2024/4/19 *****

 

クールビズ始まる

JRAは開催代わり。今週末から世間より一足早くJRA全競馬場でクールビズがスタートする。本来ならネクタイの着用が求められる馬主エリアやウイナーズサークルでの口取り撮影はノーネクタイでも構わない。ただし例外もある。それが天皇賞(春)当日の京都競馬場日本ダービー当日の東京競馬場。両レースの伝統と格式にクールビズはそぐわない。

もちろんクールビズと言っても何を着ても良いわけではない。ポロシャツ、Tシャツ、ショートパンツ、ジーンズ、サンダル等はNG。男性はワイシャツ着用、女性はそれに準じる服装が求められる。誤解されやすいのだがビジネスカジュアルとクールビズは違う。

今日は久しぶりに口取りに立つかもしれない事情があり、私もジャケット、ワイシャツ、ネクタイ、革靴といういで立ちで浦和競馬場に足を運んだ。

かつてはサンダル履きで口取りに参加している人もいた。「地方なら気軽に馬を持てる」という思いで参加している人にしてみればそれが当然かもしれない。だが、JRAであれ地方であれ口取り式とはセレモニーであり、そうした場にはそれにふさわしい服装というものがある。いやそれ以前の問題として、愛馬の出走に際しぞんざいな服装でいることは、命を賭して走る馬に対し礼を失する行為に思えてならない。

ファンについても同じことが言える。命の次に大事な金を賭ける場に臨むにあたって、軽々しい服装では大勝利など夢のまた夢。Tシャツにジーンズという格好では、首尾よく帯封をせしめても、それをしまう場所がないではないか。

戦前の競馬ファンは、中折れ帽子をかぶって競馬場に足を運ぶのが常であった。身なりを整える仕上げとして、帽子を日常的にかぶっていた時代のことである。今では日本ダービー当日の馬主席くらいでしか見ることのできぬ光景だ。

当時の競馬場では、馬主エリアでなくとも、ネクタイもしくは袴の着用が義務づけられていた。それで競馬場周辺には、貸しネクタイや貸し袴の店が繁盛していたとも聞く。今も各競馬場の馬主受付には貸しネクタイコーナーがあり、貸し出し簿をチラ見する限り思いのほか利用頻度は高い。

最高の格式を誇った天皇賞ともなれば、新品の紋付袴を用意する馬主もいた。むろん、表彰式に対する配慮である。すると「あの馬主は式服を用意しているから勝負気配だ!」などという裏情報が場内を駆け巡ったりもしたという。

20年ほど前、社台グループのパーティーで挨拶に立った元衆院議長・河野洋平氏が、むかし天皇賞に地方出身馬が勝った時、長靴履きで表彰台に上がった関係者がいたエピソードを紹介した。その上で、「最近は中央はもちろん地方競馬でも関係者の身なりがきちんとしてきた。こういうことの積み重ねで、競馬が良くなり、ひいては天皇陛下の競馬場御行幸が実現することにもつながった」と祝辞を述べられた。私は氏の見解に大きく頷く。ファンや関係者の外見がその競技のイメージに与える影響は小さくはない。

 

***** 2024/4/18 *****

 

始球式か、いずみ蕎麦か

昼間は神宮で東都大学野球を3試合。夜はZOZOマリンに移動してロッテ×西武を観戦。屋外球場での野球観戦が気持ち良い季節になってきた。

マリンでは試合前に藤田菜七子騎手が始球式を行ったらしい。「らしい」と書いたのは、私の球場到着がそれに間に合わなかったから。海浜幕張駅に到着したのは試合開始30分前だったが、歩いてスタジアムに向かう途中、「北海道そば・さくら」に立ち寄ってしまったのである。日高門別の名物店「いずみ食堂」の蕎麦を道外で味わうことができるとなれば、スルーするわけにもいかない。ずるずると蕎麦を啜っている間に菜七子騎手はボールを投じていた。

ちなみに菜七子騎手の投じた一球はボールではあったが、見事なノーバウンド投球であったようだ。そこは慣れたもの。だてに過去3回も始球式をこなしていない。通算4回目は現役ジョッキーでは最多ではなかろうか。武豊騎手でさえまだ3回だったと思う。ただし記憶が曖昧なので、間違っていたらごめんなさい。

2012年4月18日、武豊騎手が始球式を務めたオリックス×ソフトバンク戦は衝撃的だった。始球式を行う人はダグアウト脇の通路から姿を現すのが普通だが、この日はドーム内にGⅠのファンファーレが鳴り響き、外野のゲートが開くと、そこから金子真人オーナーの勝負服を纏い芦毛馬に跨った武豊騎手が登場したのである。満員のスタンドも、ゲートも、芝の上だって慣れたもののはずだが、武豊騎手は「不思議な感じだった」と振り返った。やはり「人工芝」となると勝手が違ったのかもしれない。

ダイヤモンドの手前で馬を降りて、勝負服の上からユニフォームを羽織った。背番号は212。2005年に武豊騎手自身が記録したJRAの年間最多勝利記録(※当時)の数字である。しかるのちに投じた一球は見事なストライク投球。スーパースターはやはり違う。

サイモンゼーレ(京王杯2歳S出走時)

今日のZOZOマリンのロッテ×西武の一戦は宝仙堂の協賛による「宝仙堂の凄十パワーナイター」と銘打って開催された。宝仙堂の社長・澤田昭紀氏は馬主としてもキャリアが長い。古くはホーセンホーライやホーセンルビーが、近年ではサイモントルナーレやサイモンゼーレといった馬たちが活躍している。藤田菜七子騎手もたまにサイモンの馬に乗っている。だが、それで勝ったことは、残念ながらまだない。

 

 

***** 2024/4/17 *****

 

小籠包は美味しい

先週金曜のこと。麗かな陽気と娘に誘われてナイター開催の大井へと足を運んでみた。この日は入場無料デー。しかし重賞のない平場開催。4コーナーの桜も散り桜。しかも船橋とのダブルナイターとあっては客が少ないのも仕方あるまい。あとで調べたら入場者は2900人だった。これでは飲食店もたまったものではなかろう。それで少しでも売上に協力せねばと、食い道楽・飲み道楽に走った。

パドック脇「スターライト」のクラフトビールと揚げ物たちで乾杯し、

Lウイング2階のホルモン専門店でホルモン炒めを一番搾りで流し込んだら

Lウイング1階の「アジアバル001」で焼き小籠包とレモンサワーで3度目の乾杯をした。馬券などそっちのけ。普通に飲みに行くより飲んだ気がする。

それにしても「アジアバル001」の焼き小籠包には注意が必要だ。アツアツをふーふー言いながら口に投入、しかるのちに皮を破ると口の中に激アツのスープがあふれ出て溺れそうになったのである。幸運にも溺死を免れても一定程度の火傷は免れない。しかし、それを差し引いてもこの小籠包は美味い。だからドキドキしながらも2個目をすぐ口に運ぶことになる。そしてまた溺れそうになる。

私が子供の頃、小籠包という料理は身近な存在ではなかった。今ではその地位は大きく順位を上げてはいるものの、それでも上位にランクインする餃子や焼売を脅かすには至ってない。

その証拠に、昨年秋の大井では「ショウロンポウ」という馬が走っている。ヴィクトワールピサ産駒の牝馬。7着に敗れたが、その後動静は聞かない。さらに半世紀ほど昔にも同名のショウロンポウが走った記録がある。こちらは小籠包のごとき白い芦毛馬。やはり大井所属だった。大井と小籠包の縁は浅くなさそうだが、ともあれ馬名に使えるということはその料理がメジャーではないことの裏返し。「ギョーザ」や「シューマイ」では馬名として認められる可能性は少ない。

私が初めて小籠包を口にしたのは、半世紀の歴史を誇る大門の名店「新亜飯店」。「餃子と肉まんの間のようなもの」と言われて初めて食べたその味は、餃子や肉まんのそれを遥かに凌ぐ衝撃的なものだった。驚いたのはその艶やかな皮から溢れ出すスープである。なぜこんな薄い皮にスープごと包むことができるのであろうか?

その答えは単純であった。小籠包は豚の皮の煮こごりを混ぜ込んだ肉のあんを小麦粉の皮で包んでいる。蒸すと煮こごりが溶けてスープになるのだと「新亜飯店」の方は親切に教えてくれた。大井町からの無料バスが廃止となった今となっては、大門(浜松町)こそが大井への玄関口である。次回大井訪問の折りには、久しぶりに「新亜飯店」に立ち寄ってみよう。

 

***** 2024/4/16 *****

 

ダシの街

先日の大阪訪問では船場界隈に宿を取った。

昆布と鯖のダシだけが味を決める「船場汁」の由来にもなっている地名である。「だし」を謳う飲食店の看板も少なくない。街を南北に貫く丼池筋を歩いていたらダシの自販機まであった。

そんな丼池筋に暖簾を掲げるうどん屋さんに入る。創業は明治26年の老舗。いかにも町のうどん屋然としたこの「うさみ亭マツバヤ」こそ、きつねうどん発祥のお店なのだという。それは食べておきたい。

運ばれてきた一杯は「ザ・きつねうどん」と言うべきビジュアルだった。ダシは関西の割には色味が濃い。しかしこれは醤油の色ではなくダシの色。たしかにダシの風味は強い。

伝統的な大阪うどんの倣いに従い、麺はダシを活かすことに徹している。讃岐のような主張がいっさい感じられない。手打ちではないが、手もみした後に寝かせてモチモチ感じを出しているそうだ。眼目のお揚げは丼の蓋ほどの大きさ。京都の錦市場から仕入れたものをいったん油抜きし、甘めのダシで煮たあと、昆布を敷いてさらに2~3日寝かせているという。その味は濃くも感じるが、うどんのダシも濃いめなのでこれでちょうど良い。

想像した通りの味。驚きもなかった。とはいえ「普通」を守り続けることの難しさも知っている。その努力も味に含まれているような気がしてならない。

丼池筋を北上すると右側にまた一風変わったうどん屋さんが暖簾を掲げている。いや実際には「暖簾」というモノはない。いやそれどころか看板すらない。その名も「Udon Kyutaro」。店名の由来は「オバケのQ太郎」ではなく、町名の久太郎町にちなむ。ともあれこの外観で営業中の大人気うどん屋であると分かる人は多くなかろう。ただし、時間帯によっては行列が出来るからそれを目印にすればよい。

あつかけに炙り豚肉をトッピング。豚肉の甘い脂が染み出したダシの美味いこと。こちらでは麺の主張も強い。でもダシも負けていない。そのせめぎ合いも楽しい。終わってみれば最後の一滴までダシを飲み干している。さすが大阪ダシ文化の中心地。ここまでシンプルでありながら完成された一杯はほかにあるまい。

 

***** 2024/4/15 *****

 

競馬は続く

今年の皐月賞は2番人気のジャスティンミラノが直線で豪快に伸びて差し切り勝ち。GⅠ初制覇をコースレコードで飾った。1分57秒1は凄い。ナリタブライアンが2分の壁を破ったときは競馬場全体が揺れるほどどよめいた記憶がある。あれから30年。1分57秒の壁が破られる日も遠くはあるまい。ただ、今回の快時計を生み出したのは間違いなくメイショウタバルの浜中俊騎手である。先日亡くなった藤岡康太騎手とは競馬学校の同期。大の仲良しだった。思うところがあったに違いない。

直線でジャンタルマンタルが一気に抜け出して後続を離したときは、勝負あったかにも思えた。川田将雅騎手も今回は期するところがあったはず。ジャスティンミラノとコスモキュランダが併せ馬で追い込んできたのが一拍遅れたように見えたのは、ジャンタルマンタルの一瞬の脚があまりに鮮やかだったことと、その脚が本当に「一瞬」だったことによるものか。川田騎手は言葉を選んでコメントしていたが、良くも悪くもマイラーとしての資質の高さ示したように思えてならない。共同通信杯の2着も、今回の3着確保も、その能力の高さゆえであろう。

一方で勝ったジャスティンミラノとって距離延長は不安要素ではない。なにせ共同通信杯の直前まで、2400mのゆりかもめ賞との両にらみだった。中間の追い切りで重賞3勝の古馬サトノグランツに先着。あまりの調子の良さに友道康夫調教師が重賞挑戦を決断した経緯がある。その好調ぶりを友道師に伝えたのが、ジャスティンミラノの調教パートナーだった藤岡康太騎手だった。

皐月賞のレース後、友道師は二冠獲りを宣言した。管理馬をダービーに送り込むのは5年連続。なにか特別なレシピでも持っているのだろうか。しかも現役最多のダービー3勝をマーク。しかし2冠制覇はまだない。2009年アンライバルドは1番人気でダービーに挑んだが、記録的な豪雨に泣いた。

昨日から今日にかけて泣いた人もたくさんいる。私もいっぱい泣いた。藤岡佑介騎手の挨拶を見て泣き、黒岩騎手のジョッキーカメラ映像を見て泣き、勝浦騎手のラスト騎乗にもちょっとだけ泣き、戸崎騎手のインタビューを見て泣き、レース後に号泣する友道師の姿を見てもらい泣きした。こんなに泣いたのは近年記憶にない。なにせ親が死んでも泣かなかった私である。

しかしいつまでも泣いてはいられない。競馬は続く。たまに振り返ることも大事だけど、今は前を向こう。

 

***** 2024/4/14 *****

 

運命の皐月賞

NHK朝の連続テレビ小説「虎と翼」が始まって2週間が経った。昭和初期の男性優位の社会に敢然と挑み、女性初の弁護士となった三淵嘉子さんをモデルとしたストーリー。差別や法律という重くて堅そうなイメージを覆してくれるのは、伊藤沙莉さんをはじめとした出演者の技量の為せる業であろう。女性の社会進出に理解を示す法学者を演じる小林薫さんは馬主としても知られる。今日の中山8レースで所有馬ベンガンが5着と頑張った。先週の福島ではスプリンクルソルトが未勝利を見事勝ち上がっている。ドラマも競馬も好調のようだ。

競馬にも性別の壁に挑む女性が現れた。明日の明日の皐月賞の前日発売オッズは、ホープフルSを勝って敢然と牡馬に挑むレガレイラが3.6倍で1番人気。共同通信杯で2歳牡馬チャンピオンを破ったジャスティンミラノが5.1倍でこれに続く。これを書いているのは21時時点だが、おそらくレース発走時もこの順序は変るまい。皐月賞牝馬が1番人気の指示を集めれば2017年のファンディーナ以来7年ぶりの出来事となる。

牝馬皐月賞を勝てば1948年のヒデヒカリ以来76年ぶり」

メディアはそのように盛り上げている。

だがしかし。ヒデヒカリの当時のオークスは秋に行われていたことを忘れてはならない。したがって当時の3歳馬は性別を問わずダービーを目指していた。その前哨戦たる皐月賞牝馬が参戦したところで、さほど驚くことではない。実際この年の皐月賞は7頭立てで行われたが、そのうち3頭が牝馬である。前年の皐月賞牝馬トキツカゼが勝っていた。

ダービーの権威に比べ、当時の皐月賞の評価が今ほど高くはなかったことは否定できない。そもレース名からして「農林省賞典四歳呼馬競走」の時代である。しかも5月中旬の東京競馬場で行われていた。現在の皐月賞とは全然違う。そういう意味ではレガレイラが皐月賞を勝つようなことがあれば、実質的には史上初の快挙に等しい。

オークスが現在と同じダービーの前週に移設されたのは1953年のこと。この年のチェリオを最後に牝馬皐月賞出走はしばらく途絶えたが、1991年にダンスダンスダンスが出走して話題となった。マイルでは短いというのが皐月賞出走の理由。結果はトウカイテイオーに3馬身離された5着だったが、3着イイデセゾンとはコンマ1秒差の僅差だから陣営の判断が間違っていたとは言いづらい。

奇しくもレガレイラの父は共同通信杯を圧勝しながらファンディーナと同じ皐月賞で6着に敗れたスワーヴリチャード。レガレイラの走りには父の雪辱もかかっている。いくら女性が強い時代とはいえ、人気や種牡馬の評価まで背負わせるのもどうかと思うが、もはや運命と受け入れるしかあるまい。グレード制導入以降、皐月賞に挑んだ牝馬はファンディーナとダンスダンスダンスに加えてバウンスシャッセの計3頭。バウンスシャッセに騎乗したのは北村宏司騎手だった。今回の代打騎乗も運命かもしれない。運命のゲートは明日15時40分に開く。

2014年 フラワーカップ バウンスシャッセ 北村宏司

 

***** 2024/4/13 *****