執念の結晶

今年の香港国際レースが明日に迫った。

過去に何度か現地で観戦しているレースだが今回ほど現地に行きたいと願った年ははない。誘ってくれる人もいたし、行った方が良いと言ってくれる人もひとりやふたりではなかった。これが30年前なら、たとえ仕事を放り投げてでも、たとえ土日の一泊でも、飛んで行ったはず。日本馬が海外のビッグレースを勝つことが珍しいものではなくなり、自分でも気付かないうちに海外競馬に対する憧景が薄れてしまったのかもしれない。

初めて香港を訪れたのは1995年。当時は国際GⅡ格付けだった香港国際カップフジヤマケンザンが制した。現在の日本馬の躍進はここから始まったと私は信じてやまない。なにせハクチカラ以来36年ぶりの快挙である。

Kenzan

表彰式を終えての帰り道、たまたまフジヤマケンザンの生産者である吉田重雄氏が我々の隣を歩いていた。そこで私の妻が「おめでとうございます」と声を掛けたのである。それに対する重雄氏の言葉が今も忘れられない。

「ようやくです……本当に……夢を見ているみたいだ」

フジヤマケンザンの父ラッキーキャストを知る人はほとんどいまい。フジヤマケンザンと同じ吉田牧場の生産馬。だが、日本ではなく米国でのデビューを目指して2歳時に渡米していた。

ラッキーキャストの父マイスワローはグランクリテリウム、ロベールパパン賞、モルニ賞の仏国2歳三冠レースを完全制覇した全欧2歳チャンピオン。引退後は種牡馬として愛国で繋養されていたが、重雄氏が中心となり1978年に日本へ輸入された。

また、ラッキーキャストの母タイプキャストは、マンノウォ―Sなど通算21勝を挙げて全米最優秀古馬牝馬にも選ばれた名牝。それを重雄氏が、72万5000ドルという当時の世界最高落札価格で購入して話題となった。「無茶な買い物」と揶揄する声もあったと聞く。産駒のプリティキャスト天皇賞を勝っても、展開に恵まれただけだと周囲の評価は厳しかった。

米国デビューを目指して渡米しながら、屈腱炎のため競走馬としてデビューすらできなかったラッキーキャストを、それでも種牡馬としたのは重雄氏の執念であろう。それが牧場ゆかりのワカクモの牝系で結果を出したのだから、嬉しくないはずがない。しかもそのラッキーキャストは、同じ年の2月にこの世を去ったばかり。タイプキャストを日本に連れてきてから23年。テンポイントの海外遠征が幻に終わってから17年。「ようやく」の言葉に重みが増す。いま思えば、フジヤマケンザンの香港国際カップ制覇は、重雄氏の執念の結晶だったように思えてならない。

Kenzan2

今回の遠征馬の中にそのようなストーリーを持つ馬を捜せば、レーベンスティールをおいてほかにいないのではないか。リアルスティールトウカイテイオーリアルシャダイターゴワイスと遡るボトムラインには、吉田重雄さんと同じ生産者の執念が見て取れる。リアルスティールトウカイテイオーも世界を相手に勝った国際的名馬。その名を再び世界に轟かせる活躍を、遠く東京から祈ることにしよう。

 

 

***** 2023/12/9 *****