モシーンの旅路

2018年の関屋記念を勝ったのは3歳牝馬のプリモシーンだった。関屋記念での3歳馬の優勝はエイシンガイモン以来22年ぶり、3歳牝馬としてはクールハート以来実に31年ぶりの出来事。ちなみにクールハートは6番人気の伏兵だったが、プリモシーンは歴戦の古馬相手に堂々の1番人気である。他馬のマークを一身に受けながら、それでも勝ち切って見せたのだから素晴らしい。下の写真は初勝利を挙げた未勝利戦のもの。

2017年10月9日 2歳未勝利 プリモシーン 北村宏司

彼女のお母さんのモシーンは、VRCオークスなど豪州GⅠ4勝の名牝。一族には香港チャンピオンマイラーのラッキーオーナーズや、2年連続で豪州年度代表馬に輝いたマイトアンドパワー、ファーストレディS(米GⅠ)の勝ち馬ブローアウトと、錚々たる名前が並ぶ。つまり名血にして、女傑なのである。

そんな彼女が繁殖牝馬として日本にやってくることができたのは、オーナーのP・S・スライ氏の好意によるところが大きい。もともと日本好だったスライ氏は、セレクトセールでの来日が縁で吉田勝己氏と懇意になった。親交が深まる中で、お世話になった勝己氏への恩返しにとモシーンの所有権の半分を譲り、豪州の女傑は海を渡ることになる。

いま我々が豪州の歴史的名牝の子を間近に見ることができるのは、そんなスライ氏の男気のおかげだ。2016年のシルクホースクラブの1歳馬募集において、「フサイチパンドラの15(のちのアーモンドアイ)」の倍近い応募数を集めたのも、その血統を見れば当然であろう。ちなみに募集価格はアーモンドアイが3000万円であったのに対し、プリモシーンは5500万円。サンデーレーシングの会員が「あれほどの血統馬がなぜシルク(での募集)なんだ?」と、ノーザン関係者にぼやいていたことを思い出す。

日本が好きで、その日本でお世話になったからとモシーンの権利を譲ったスライ氏は、豪州人として本邦外居住馬主の第1号にもなった。その時すでに肺ガンの闘病中ではあったが、「ベリーハッピー」とコメントした上で、モシーンの子が日本の競馬場で走る日を心待ちにされていたことを覚えている。だがしかし、1番仔のキャリコのデビューを見届けることなく、57歳の若さでこの世を去ってしまった。小説「優駿」もそうだが、競走馬のデビューを無理やり早めることはできない。

そんなモシーンの産駒が、今年ついにダービーに出走を果たした。プリンシパルSを勝ち、ダービーでも5番人気に推されたダノンエアズロックは、プリモシーンの7番仔である。しかし結果は14着の大敗だった。2500mのVRCオークスを9馬身差で圧勝したしたモシーンの子なら距離の心配はないと見たが、イレ込みが激しくレースにならなかった。ダービーの壁は厚い。しかし、その壁に挑むところまでたどり着いたことは賞賛されて良い。

早くも明日からは来年のダービーに向けた戦いが始まる。世代最初の新馬戦、12時15分発走阪神5レースに出走するジャスタパティーの母はキャリコで、その母はモシーンだ。モシーンの旅はまだまだ終わらない。天国のスライ氏はそれの道のりを温かく見守っているはずだ。

 

***** 2024/5/31 *****