先月末、NARグランプリの2009年と12年の年度代表馬に選出されたラブミーチャンの訃報が報じられた。17歳は早い。彼女の快速ぶりを彷彿させるかの如く、圧倒的なスピードで天国へと駆け抜けて行ってしまったような、そんな印象さえ受ける。
ラブミーチャン。一度耳にしたら忘れない印象的な馬名は、実は改名によるものだったことをご存じだろうか。JRAでのデビューを目指し、2歳の5月に栗東へ入厩。冠名の「コパノ」に、母ダッシングハニーの名前の一部を取って「コパノハニー」の名で馬名申請も通った。だが、期待に反して体調が上向かず、調教のペースがなかなか上がってこない。
そこで風水の第一人者である小林オーナーは決断を下す。彼女の持つ運からJRAは合わないかもしれないと風水的に良い方角の地方笠松へと移籍させ、さらに馬の持つ運と名前が合っていないと判断して「ラブミーチャン」と名前を変えた。この愛らしい馬名には「自分を大事にして」という願いが込められていたという。
2歳10月に笠松でデビュー勝ちを果たすと、2戦目のジュニアクラウンも完勝。3戦目には早くもJRAに挑戦し、京都のダート1200mを2歳レコードで駆け抜けた。続く兵庫ジュニアグランプリと全日本2歳優駿も勝って、5戦無敗の完璧な成績で2歳シーズンを終えている。2歳馬としては史上初となるNARグランプリの年度代表馬にも選ばれたのも当然であろう。
その後の活躍はご存じの通り。南関東を根城にする筆者にとっては、レース創設から3連覇した習志野きらっとスプリントの印象が強い。まさにワンターンの女王。いまや地方競馬の名物シリーズとなった「スーパースプリントシリーズ」は彼女の活躍なくては定着しなかったかもしれぬ。
圧巻は3連覇を果たした2013年。1000m重賞で5馬身差の勝利例はほかに記憶がない。同じ船橋1000mで行われたJBCスプリントをサマーウインドが逃げ切った時もぶっちぎりだった印象があるが、それでも4馬身差だった。
この直後のクラスターカップも勝ったラブミーチャンは重賞4連勝。6歳での成績を6戦5勝とし、金沢で行われるJBCスプリントに向けた調整を進めていた矢先のことだった。右前内側種子骨の骨折による突然の引退。悲願のJBCタイトル奪取はもちろん、金沢を残すのみとなっていた地方競馬全場踏破の偉業も目の前で潰えた。競馬の神様は時にひどいことをなさる。
しかし、それで彼女の功績が陰るわけではない。通算18勝。重賞16勝。しかもそのうちの5勝がJRA牡馬相手のダートグレード競走だから中身の濃さが違う。それは全国各地の競馬場で彼女に声援を送ったファンがいちばんよく分かっているはず。今日韓国で行われたコリアスプリントがあと5年早く創設されていたら、リメイクよりひと足先にラブミーチャンが連覇を果たしていたと固く信ずる。
先週土曜の札幌5レースで2歳新馬でデビューしたコパノハーンはラブミーチャンの孫。快速の血は繋がっている。あさってから始まるの笠松開催3日間のメイン競走は「ラブミーチャン追悼競走」として行われるそうだ。馬券だけでも参加したい。
***** 2024/9/8 *****