箱根駅伝は突然に

この正月、ずっと箱根駅伝の中継に見入っていたら、かつて我が身に起こったちょいと恥ずかしいアクシデントを思い出した。

あまりに恥ずかしいから黙っていようと思ったのだけど、黙っているよりは己の不徳をしっかりとネット上に刻み付け、今後の戒めとすべきであろうと思い直したので敢えて書く。長くなるが、まあ聞いてくれ。

その日、川崎4レースに撮らねばならぬ馬が出走を予定していた。発走は13時ちょうど。空模様は申し分のない快晴で、2月だというのに寒さもそれほど厳しくはない。いや、むしろ暖かいと言うべきであろう。春の到来を予感させる陽気に、一度羽織ったコートは脱ぎ捨てて、薄手のセーターにジャケットという春の装いで家を出た。その週末には弥生賞も行われる。そう、もう春なのだ。足取りも軽く、川崎競馬場には3レースの発走前に到着した。

穏やかな日差しにめぐまれた平日の昼下がりに、のんびりと眺める競馬。そんな小さな幸福感に浸るうち、がしゃん!と音がして3レースのゲートが開いた。

そこから事態は急変する。カメラの調子がおかしい。どうやら、メモリカードがうまく認識できないようだ。「カードエラー」というメッセージが表示されるだけで、イメージデータが記録されないのである。

「ちっ、しょうがねぇなぁ……」

3レースの撮影はあきらめて、予備のカードを取り出そうとコートのポケットに手を入れようとしたその時、目の前が暗くなるのを感じた。比喩ではない。わずかな時間だが、本当に意識を失ったのではあるまいか。

この季節、予備のメモリカードを入れたカードケースは、いつもコートの右ポケットに入れることにしている。だが、そのコートは出がけに自宅に脱いてきてしまった。つまりこのままでは撮影ができないのだ。

カメラの電源を入れ直したり、カードを抜き差ししてみたが状況は改善せぬ。もはや買いに走るしかない。

考えるよりも早く、馬運車駐車場出入り口から場外に飛び出した。4レース発走まで残り22分。空車のタクシーが通りかかるのを待つのはリスクが大きい。自分で走って川崎駅前まで行く方が確実。私は箱根駅伝のランナーになったつもりで、第一京浜を西に向かって走り出した。

……そしたら、わずか100mほどで限界を悟った(笑)

まずあっという間に息が上がった。次いで足の裏が痛み始める。脚が前に進まない。腕も触れない。こんなにも己の体力が落ちていたのかと愕然とする。「なんでこんな時にカードがおかしくなるんだよ!」とカードに八つ当たりした。競馬場の駐車場から市役所前の通りの交差点までは僅か500m。馬なら30秒。箱根のランナーでも1分半で駆け抜ける距離である。なのに、その距離は永遠にも感じるほど遠い。

ようやく辿り着いた交差点には、例の巨大な歩道橋が待ち受けていた。その階段はまさに行く手を阻む箱根の山そのもの。神野大地選手や若林宏樹選手の偉大さを噛み締めながら、それでも根性で上り終えた。が、下りはなおキツい。よく解説の瀬古さんが、「実は坂道は上るよりも下る方がキツいんですよ」とおっしゃるのを、「ホントかなぁ?」などと聞き流していた自分はつくづくバカだと痛感した。6区で区間新を叩き出した野村昭夢選手は凄い。

往路は1キロほどであろうか。さながらタスキを渡し終えたランナーのごとく川崎駅近くのショップに倒れ込み、目当てのメモリカードを探し当て、会計を済ませたら、いよいよ復路のスタートである。それにしても、箱根駅伝を考案した人のセンスには感服せざるを得ない。「行って、帰ってくる」というのは、「行ったっきり」のレースとはまるで違う感覚がするものである。

4レースの発走まであと9分。気になるのは前を行く他校の選手ではなく、むしろ背後に迫る繰り上げスタート……そんな選手の気持ちが少しは分かったような気がしたが、正直それほどの余裕もなかった。残された力を振り絞るようにして市役所の前を走り、稲毛神社の角を曲がり、ちゃんこ屋の信号で第一京浜を渡れば残り200m。懐かしい駐車場の門は、大手町のゴールテープにしか思えなかった。

発走2分前にどうにか帰着。買ったばかりのメモリカードをカメラにセットすると、残り撮影枚数が表示された。あふれ出す安堵感。そして4レースのファンファーレ。

結果その馬は負けた。残念と言えば残念だが、もはやそんなことはどうでも良い。それほど疲れた。たった2キロあまりを走っただけなのに、あれから箱根駅伝を見る目が変わったことは間違いない。ああ…、疲れたなぁ。

 

***** 2025/1/5 *****