スパーキングレディカップの奇跡

1995年6月、当時は夏に行われていたエンプレス杯を大差圧勝したホクトベガは、この勝利を皮切りに川崎、東京、船橋、高崎、大井、川崎、盛岡、浦和、川崎と転戦してダート重賞10連勝を達成した。

1996年 川崎記念 ホクトベガ 横山典弘

しかし引退レースとなるはずのドバイワールドカップでレース中に骨折。非業の死を遂げた名牝の名は、新設が決まっていた牝馬の重賞「スパーキングレディカップ」に副題として残されることになった。突然の発表には驚かされた覚えがあるが、エンプレス杯川崎記念をそれぞれ連覇。伝説の始まりと国内における終わりの舞台となった川崎に彼女の名を冠したレースが誕生するのは、ごく自然の成り行きであろう。

そのホクトベガと同じ年に同じ牧場で生まれたのがマックスジョリー。1987年の牝馬クラシック2冠を制したマックスビューティの初子で、偉大な母の足跡をたどるように桜花賞オークスへの出走を果たすが、いずれも3着とあと一歩が届かなかった。ちなみにホクトベガも同じく桜花賞オークスに出走して5着と6着に敗れている。

その後もマックスビューティはマックスウィンザーチョウカイライジン、アーサーズフェイムといった活躍馬を送り続けた。繁殖牝馬としての成績も決して悪くはない。ただ、産駒はなぜか牡馬ばかりだった。しかも、牧場に戻ったマックスジョリーがわずか1頭の牝馬を残しただけで急死してしまう。牝系断絶の危機と言っていい。

ともあれマックスジョリーがこの世にただ一頭残した産駒が、2冠馬マックスビューティの血を繋ぐ唯一の繁殖牝馬となった。ビューティソングと名付けられたこのデインヒル牝馬は、大事を取って未出走のまま繁殖入りする。名牝マックスビューティの血はビューティソングを通じて細い糸が一本だけつながっているにすぎない。その細い糸の先に今日のスパーキングレディカップに出走したボヌールバローズがいる。

マックスジョリーが酒井牧場で生まれたのは34年前。そこから切れそうで切れなかった細い糸の先に生まれた曾孫ボヌールバローズが、同じく34年前に酒井牧場で生まれたホクトベガの名前を冠したレースを走ったこと自体が、もはや奇跡に思えてならないのである。レースでは9着に破れたが、着順は問題ではない。産まれてからしばらくの間、放牧地でマックスジョリーと一緒に過ごしたであろうホクトベガもきっと喜んでいるはずだ。

 

***** 2024/7/3 *****