2年後を見る

皐月賞の枠順が確定した。筆者の注目はトライアル3着で出走権を手にしたルカランフィースト。父イスラボニータとの史上8頭目皐月賞親子制覇をひそかに期待している。今年の皐月賞にはゴールドシップドゥラメンテに加えて、父子3代制覇の大記録がかかるアルアインの産駒も出走するが、それでも私はイスラボニータの子に注目しないわけにはいかない。

今から12年前の2012年6月17日、社台グループ牧場ツアーで訪れたノーザンファームは、朝から豪雨に見舞われていた。

この日の目玉は「ビワハイジの2011」。のちに「サングエブル」と名づけられることになるその良血馬は、牝馬ながら募集価格6千万円にも達する。しかし私の目当ては2千万円から3千万円。その予算に見合う数頭をあらかじめピックアップして、靴を濡らしながら放牧地を歩いた。その中の一頭に募集価格2400万円の「イスラコジーンの2011」が含まれていたのである。そう、今から10年前の皐月賞を勝ったイスラボニータだ。

当時のツアーのしおりを引っ張りだしてみた。「イスラコジーンの2011」の実物を見た印象がメモ書きされている。

「小 尻○ 毛色?」

なにせ12年前のことなので詳しくは覚えていないが、「尻○」というのは、尻の形が良いということであろう。「毛色?」というのは何のことか分からん。雨に濡れて毛色に何か疑問を感じたのかもしれない。私にとって毛色は大事なファクターである。それよりも気になるのは、先頭に書き込んだ「小」の一文字。実馬をパッと見て、まず「小さい」という印象を強く受けたのであろう。

遅生まれ(5月21日生まれ)なのだから小さくて当然。だが、この時の私は「早期デビュー」を最大の選択基準にしていた。それでこれは難しいかな……と思ったに違いない。結果別の馬を申し込み、抽選で外れ、二次募集でまた別の馬を申し込んだ。

最終的に購入した馬は2歳7月にデビューを果たしたのだから、まあ「早期デビュー」という目標はおおむね達成できたと自負している。だが、翌年の6月2日東京でデビュー勝ちを果たしたイスラボニータには正直驚いた。あの日、雨に打たれて小さな身体をますます小さく見せていたイスラコジーンの2011が、1年も経たぬうちにデビューを果たし、重賞3連勝で皐月賞を勝つことになるとは……。私もつくづく見る目がない。

イスラボニータ

やはり馬を見る時には想像力を駆使しなければならぬ。その時点の良し悪しではなく、その馬体から1年後、2年後を見通せるようでなければ豪雨に打たれてまで見る意味はないのだろう。間もなく社台から1歳馬の募集リストが届く。その中に2年後のクラシックホースを見つけることができるだろうか。

うーむ……。無理だろうなぁ。

 

***** 2024/4/12 *****

 

【追悼抄】藤岡康太騎手を偲ぶ

トレンドワードの上位に突然その騎手の名前がランクインされたのを見てやるせなさでいっぱいになった。

藤岡康太騎手が逝去。先週土曜の阪神競馬7レースで落馬し、意識不明の状態が続いていると伝えられていたが、ついに意識が戻ることはなかった。35歳と聞けば、悲しみよりも悔しさが先に立つ。そのレースを私は阪神競馬場で観ていた。なのに、前ばかり見ていてその落馬に気付かなかった自分が恥ずかしい。場内実況も落馬には触れなかったような気がする。レース後、はるか遠くの3コーナーに係員が集まっているのを見た。そのときはそれだけ。我ながらなんとひどい態度を取ってしまったのかと、今は反省の思いしかない。その思いが悔しさを倍増させている。

2014年 府中牝馬S ディアデラマドレ 藤岡康太

デビューは2007年3月であるから、正味17年の騎手人生であった。通算成績はJRA803勝。うち重賞は22勝。多くのメディアでこのように報じられているが、ここに地方18勝とダートグレード3勝も加えておきたい。つまり「通算821勝、重賞は25勝」である。

2021年 須磨特別 ロータスランド 藤岡康太

個人的には「代打の切り札」の印象が強い。ナミュールを勝利に導いた昨年のマイルチャンピオンシップがその最たるもの。オースミスパークで勝った小倉大賞典は落馬負傷の赤木高太郎騎手から急遽回ってきた手綱で挙げた勝利だったし、負傷の福永祐一に代わってワグネリアンの手綱を取り神戸新聞杯を勝ったこともある。秋緒戦を迎えるダービー馬の手綱となればプレッシャーは小さくあるまい。それでも彼は乗り替わりで結果を出してきた。

2021年 京都大賞典 マカヒキ 藤岡康太

昨年はキャリアハイの63勝をマーク。それを上回るペースで今年は勝ち星を積み重ねていた。2024年はいよいよ飛躍の年―――。本人も、周囲も、誰もがそう思い始めていたに違いない。そんな矢先の落馬事故である。「好事魔多し」などという浅い表現で済ませたくない。競馬の神様は本当にひどいことなさる。しかも一度や二度ではない。

2018年 日本ダービー出走時

それにしても騎手とはなんと危険な職業であることか。普段からそう思っているつもりだが、こういうニュースに触れると、哀しい現実が心の奥に突き刺さってなかなか抜けない。親交のある騎手が鎖骨を骨折したと聞いてお見舞いの言葉をかけたら、相手は「鎖骨で良かったよ」と笑った。その時は私も一緒に笑ったが、その言葉の奥には笑って済ませられぬ現実がある。とにかく今は静かに藤岡康太騎手を偲びたい。故人のご冥福を心よりお祈り申し上げる。

 

***** 2024/4/11 *****

 

ハンブルクを食べよう

先週土曜の大阪-ハンブルグカップはレッドバリエンテが1番人気に応えて完勝した。管理する中内田調教師は史上最速でJRA通算400勝を達成。その偉業を祝して、今日の昼メシはハンバーグとした。いや、ただ単にハンバーグが食べたかっただけです。

向かった先は末広町駅から徒歩1分のレストラン「牛舎」。この店のハンバーグは大きいこと知られる。注文して待つこと10分。目の前に運ばれてきたのは500グラムのの巨大ハンバーグであった。

デカい。デカいが、自分でオーダーしたのだからそのデカさに圧倒されたりはしない。むしろ壮観な眺め。さあ食ってやろう!と思わず身震いしてしまう。

「あの、食べきれるんですか?」

同行した後輩が心配顔で言ってきた。震えているのが分かったのだろう。

「うーん。分からないな。もしダメだったら手伝ってよ」と言いつつ、内心はニヤニヤしていた。だって10年前までは「ステーキくいしんぼ」に毎週のように通い詰めて平然と560グラムを食っていたのである。それで飽き足らず「720グラムはできないのか?」と店員に詰め寄ったことも。フライパンのサイズの問題で無理だと言われ、仕方なく諦めた。

この店に限って言えば、「デカ盛り=大味」という心配は無用。ナイフとフォークは止まることがない。ベルトを緩めるとか、ナイフを置いて休憩を挟むとか、大きなため息をつくとかいう大食い的局面もなくサラリと食べ切ってしまった。しかもライス1枚では足りずに、大盛りライスをおかわりの暴挙である。呆気にとられた顔の後輩には申し訳なかったが、「もうちょっと食べたかった」というのが正直なところ。つくづくハンバーグは美味い。大阪-ハンブルグカップ当日は、ぜひ競馬場で「ハンバーグフェア」でもやってくれないものか。

ハンブルクの名物料理「タルタルステーキ」が移民によって米国に伝えられ、「ハンバーグステーキ」と名付けられたのがそもそもの始まり。起源となったタルタルステーキは、もともとモンゴル系遊牧民族の馬肉料理だったとか。もし馬肉のまま現代のハンバーグに進化していたら、私は個人的理由で食べられないところだった。そんな幸運にも感謝しつつ、次なる巨大ハンバーグのお店を探すことにしよう。

 

***** 2024/4/10 *****

 

実質的には16回目

明日の大井では第35回東京スプリントが行われる。とはいえ「東京スプリント」として行わるようになったのは2009年以降の話。それまで古馬のダート1200m重賞は東京盃(JpnⅡ)とカペラS(GⅢ)の2レースしかなかった。いずれも秋のレースである。

上半期としては初となるダート1200m重賞が行われることになったのだから、ダート1200mのスペシャリストたちが黙っているはずはない。フジノウェーブアグネスジェダイが勇躍参戦してきたが、勝ったのは1200m未経験のゼンノパルテノンだったりするから競馬は難しい。

2009年 東京スプリント ゼンノパルテノン 内田博幸

このレースの前身は南関東ローカル重賞の「東京シティ盃」。主に1月の1400mで行われていた。勝ち馬にはセントリックやサプライズパワーといったダービー馬の名前が並ぶ。今の東京スプリントとはぜんぜん違うレースだと思った方が良い。第1回の覇者ダイコウガルダンに至っては、前走で2800mの東京大賞典を勝っていた。距離適性も何もあったもんじゃない。

ただし、である。そんな東京シティ盃にあって1999年の優勝馬カガヤキローマンは生粋のスプリンターだ。外枠不利とされる大井1400mで、大外16番枠からハナを奪っての2馬身半差は能力の証。東京盃連覇の実力はダテではない。

1999年 東京シティ盃 カガヤキローマン 森下博

さて、今年の東京スプリントの出走馬をあらためて見渡せば、ギャルダルの名前に目が留まる。2021年東京ダービーの2着馬。1200m戦を走ったこともない。

かつてのレース傾向を知る者とすれば決して軽視はできないのだが、5頭いるJRA所属馬の牙城は堅牢だ。どこまで上位争いできるか。地元側としては川崎記念のライトウォーリアの再現を期待したい。

 

***** 2024/4/9 *****

 

半年間で14人引退のインパクト

おととい、勝浦正樹騎手がこの中山開催を最後に現役を引退するとの発表があった。JRA重賞17勝でGⅠは2勝。個人的には初GⅠ制覇となったテレグノシスのNHKマイルカップが思い出深い。

2002年 NHKマイルC テレグノシス 勝浦正樹

直線での斜行で1番人気タニノギムレットが大きな不利を受けた。加害馬はテレグノシスである。審議は20分間にも及んだが、勝浦騎手にとっては永遠にも等しい長い長い時間だったに違いない。引退後は競馬の現場から離れるとのこと。JRA通算966勝のベテランはそっと鞭を置く。

この半年の間に現役を引退または引退を表明した騎手は14人となった。この数字はちょっと多過ぎやしないか。そのうち4人が障害ジョッキーであることを、とりわけ筆者は憂慮している。熊沢重文、平沢健治、北沢伸也大庭和弥の4人。昨年は合計28人の騎手が障害レースに騎乗したが、今年は1増4減。ルーキーの坂口智康騎手を含めた25人体制となる。1998年には40人の障害騎手がいたことを思えば、この人数は心もとない。

一方で障害レースの平均出走馬は1998年の9.4頭から、四半世紀を経て11.4頭に増加。今週は我が国最高峰の障害レースが行われる。この機会に障害レースの置かれた状況について考えてみるのも悪くない。

JGⅠレースは暮れの中山大障害と今週の中山グランドジャンプの2レース。ただし、前者は当日の準メイン競走であるのに対し、後者はメインレースである。距離もグランドジャンプの方が150m長く、秋~春を1シーズンとする障害レース体系におけるクライマックスなのだから「我が国最高峰」と言うのは間違いではない。希代の名ジャンパー・オジュウチョウサン中山大障害を3勝したが、グランドジャンプの方は4連覇を含む5勝もしている。真の王者は勝つべきレースをちゃんと知っていた。

どんな記録もいつかは破られる運命にある。だがオジュウチョウサンのJGⅠ8勝、中山グランドジャンプ5勝の記録を破るのは至難だ。不滅と言っても良いかもしれない。それでも今週のマイネルグロンには「JGⅠ連勝」を、イロゴトシには「グランドジャンプ連覇」をそれぞれ期待しよう。とりわけイロゴトシの父はヴァンセンヌ。その母は訃報が伝えられたばかりのフラワーパークである。

もちろんニシノデイジーに対しても「JGⅠ2勝目」を期待してやまない。かつては札幌2歳Sと東スポ杯2歳Sを勝った「二刀流」の才馬。その平地重賞2鞍で手綱を取っていたのは、誰あろう勝浦正樹騎手である。恩人の引退に花を添えたい。2022年の中山大障害オジュウチョウサンを下しての快勝だった。明けて8歳。こと障害では、まだまだ老け込む歳ではない。

 

***** 2024/4/8 *****

 

阪神クライマックス

今日の阪神8レースは「宝塚市制70周年記念」。略せば「宝塚記念」である。でも2勝クラスのダート1800m戦。なにせ昨年までなら「吹田特別」だった。吹田市民はさぞ悔しかろう。

宝塚市制70周年」にしても本来なら宝塚記念の副題の方がしっくりくる。ただ阪神競馬場はスタンドリニューアル工事に入るため、来週の日曜日が今年の最終開催日。京都で宝塚市制云々を言われても、いまひとつピンと来ない。それで今日に持ってきた可能性もある。桜花賞当日ならば宣伝効果も宝塚記念当日と遜色ない。

京都の宝塚記念は過去に7回。我々ファンにとっては一定の頻度で観ているイメージがある。1974年はハイセイコーが5馬身差でレコード勝ち、1991年はメジロライアン横山典弘が、京都では禁忌とされる3角下りからの早仕掛けでメジロマックイーン武豊の追撃を封じた。2006年はディープインパクト単勝1.1倍の人気に応える圧勝劇。正直言って、阪神宝塚記念にも負けず劣らず京都の宝塚記念にはドラマが詰まっている。ライスシャワーの悲劇が起きたのは1995年。あれも京都の宝塚記念だった。

リニューアル工事期間中は阪神競馬場でのパークウインズ営業も実質的に行われないと思った方が良い。競馬場入場門から先は立ち入り禁止。入場門前に仮設の券売機を設置するだけで、しかも9レース以降しか売らないという。もちろんレース映像や実況もない。わざわざ行く人は少なかろう。公園開放も5月6日が最後となる。注意されたい。

リニューアルの目玉は観戦エリアと飲食エリアの改修だという。指定席は京都のような2席ペアシートから独立型にするのだろう。スマートシートは座席と座席の間にサイドテーブルを設置することでゆとりを持たせる一方、座席数を減らすのだと思われる。今のように400円で座席に座れるのは来週が最後かもしれない。そもそも4年前まで200円の入場料を払えば観戦席は無料だった。今では立ち見の入場料に500円も支払わされる。

飲食エリアについても同様であろう。「ホルモン人」は営業を継続してくれるだろうか。リニューアル後の京都競馬場の飲食エリアの評判はすこぶる悪い。阪神には同じ轍を踏んでほしくない。座席料金であれ、飲食料金であれ、リニューアルは値上げの根拠になる。

 

***** 2024/4/7 *****

 

ままならぬ馬券と桜

大阪ではソメイヨシノが満開を迎えた。満開の観測は平年より2日遅く、昨年に比べれば10日遅いという。ところが阪急電車に揺られて30分ほど離れた阪神競馬場は満開には程遠い。品種によっては満開近い木もあるが、ソメイヨシノは五分咲きといったところか。今日の暖かさの後押しを受けて多少は咲き進むだろうが、明日の桜花賞は「満開の桜の下」というわけにはいかなそうだ。

阪神の桜は根元に氷を撒いて開花を遅らせとるんや。今年はそれが裏目に出たんやろな」

背後から訳知り風の声が聞こえて来た。JRAがレース結果を操作しているという都市伝説はさすがに聞かなくなったが、桜の開花時期くらいなら操作できると信じる人がまだ一定数いるということだ。毎年、関西各地の桜が散ったあとに、阪神の桜だけが満開を迎えるのがその証だというのである。

桜花賞当日の阪神に毎年通い詰めるような熱心なファンなら納得しそうな話だが、残念ながらこれも都市伝説の域を出ない。JRAもそれを明確に否定する。六甲おろしが吹きつける競馬場は周辺よりも若干寒く、桜も遅めに咲く傾向がある。昨年の桜花賞はほとんど花が散った状態の「散り三分」。ジェンティルドンナが勝った2012年は逆に開花したばかりだった。開花時期を調整できるならそんなことはなるまい。それに比べれば今年の桜花賞は恵まれた方。明日は美しい競馬が見られるはずだ。

とはいえ、JRAも開花時期の調整に関心がないわけではない。今から30年ほど前に開花を操作できるかどうかを実験したことがあるにはあったそうだ。先の都市伝説はこの実験の話が誤って広まったのであろう。実際に氷を撒いたり、逆に暖めたりしてみたそうだが、開花時期への影響は皆無だったという。そりゃそうですよね。開花調整ができるなら、競馬よりももっと切実なイベントが黙ってはいまい。

そもそも特定の日に人為的に満開にした桜に日本人の心は動かされるのだろうか。予想がままならない桜の魅力は競馬にも通じる。今日のマスクトディーヴァはドンピシャのスタート。最内枠は蟻地獄と踏んだ筆者の予想を嘲笑うかのような快勝だった。

 

***** 2024/4/6 *****