クルマ、電車と来れば

電車を見るために幕張メッセへ。正確には「鉄道技術展」だそうだ。クルマ、電車と来れば馬もアリだろう―――。そう思った私は、京葉線の車窓から船橋競馬が見えた瞬間、窓を開けて飛び降りそうになった。しかし残念ながら今日は開催日ではない。私を幕張に向かわせた上司もそれくらい分かっている。

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鉄道と言えば、東海道新幹線の車内ワゴン販売廃止が話題になったばかり。私も先月まで頻繁に利用していた身だから、感慨がないと言えば嘘になる。でも、かつて食堂車が廃止になった時ほどの衝撃はない。東海道・山陽新幹線から食堂車が消えたのは2000年3月のダイヤ改正でのこと。最終日は多くの利用客が列を作り、ホームにはカメラを構えた鉄道ファンが溢れ、マスコミはもっと大々的に歴史的瞬間を報じた。

新幹線のみならず在来線特急からも食堂車が姿を消して久しい。今も残るのは一部の豪華クルーズトレインのみ。しかし私が懐かしむのは豪華フランス料理のディナーや懐石料理を楽しみつつ、夫婦でワインを傾けたりするような食堂車ではない。

一人旅に携えた文庫本は既に読み終え、さりとて眠りにつくこともできず、車窓を眺めるのにもいい加減飽きた頃合いで、「そうだ、この列車には食堂車があったな」と思い出して、やおら席を立って向かう―――そんな食堂車である。注文するのはサンドウィッチとビールの小瓶。小ぶりのグラスにゆっくりとビールを注ぎ、ゆっくりとサンドウィッチを食べ、そしてゆっくりとビールを飲む。そうしている間にも、自分の体は結構なスピードで目的地に向かって進んでいる。そんな不思議な感覚も旅情のひとつだった。

鉄道のスピードアップにつれ車内滞在時間が減り、わざわざ車内で食事をする必要がなくなったため、というのが食堂車撤廃の表向きの理由だったが、実際には輸送効率の追及が本音であろう。赤字を増やすだけの食堂車を連結するぐらいなら、普通車両に乗客を座らせて運んだ方が儲かる。企業としては当然の理論ではあろうが、やはりひとつの文化の消滅には違いあるまい。

目的地へ向かうその道中にこそ旅の本質があったはずなのに、交通手段の合理化に伴って旅人はその本質を捨てて目的地での観光のみ追い求めるようになった。旅の形は明らかに変容してしまっている。その変容の果てに、ゆとりや潤いは鉄道から消し去られた。そういう視点に立てば「変容」と呼ぶよりも、はっきり「退行」と言い切ってしまった方がよさそうだ。

鉄道技術展は私が思っていたものとは少し毛色が違っていた。ひと言で言えば「保安や省人化のための技術展」。車両がたくさん展示されていると思ったら大間違い。しかも凄い数の企業が出展している。ひとつくらい鉄道文化に向き合うブースがあればと願ったが、もちろんあるはずがない。ともあれ普段何気なく利用している鉄道は、かくもたくさんの技術で支えられていることは理解できた。競馬場に向かって窓から飛び降りるような真似は、決してしてはいけない。

 

 

***** 2023/11/10 *****