先進の船橋

昨日は船橋競馬場に対して少し厳しいことを書いてしまったので、今日は少し持ち上げてみる。こう見えて案外気を遣うタイプなのである。

船橋競馬場は1950年に開場。74年間に及ぶその歴史は「日本初」の積み重ねと言って良い。

オートレース発祥の地」であることは良く知られている。現在は太陽光発電パネルがずらりと並ぶ内馬場に日本初のオートレース用のトラックが作られた。1周800m。驚くなかれダートコースである。その外周の競馬用ダートコースにスパイラルカーブを導入したのも船橋が初めて。そもそも内馬場をメガソーラーにしたのも日本初に違いない。

地方競馬のテレビ中継も船橋が先鞭をつけた。

戦後まだ間もない1953年。重賞「金の鞍」を日本テレビが実況中継したことに端を発する。中継を担当した佐土一正アナウンサーは、この年入社したばかりの日テレアナウンサー第1期生。後に力道山のプロレス中継で名を馳せるレジェンドとはいえ、新人アナが3時間余りの放送時間を繋ぐのだから、さぞ苦労したに違いあるまい。なにせ当時はテレビ放送事業自体が黎明期である。この翌年から「金の鞍」は「NTV盃」と名を変えて行われるようになった。それから70年を経て、テレビ中継はなくなっても、日本テレビの冠は今も残っている。

ちなみに2008年の日本テレビ盃を勝ったボンネビルレコードの勝ち時計1分47秒8は、JRAを含めた我が国のダート1800mで初めて1分48秒の壁を破るレコードタイムだった。これも船橋が誇る日本初のひとつ。

2008年日本テレビ杯優勝馬ボンネビルレコード

さらに意外な日本初もある。発端は船橋競馬場川崎競馬場を設立した正力松太郎氏の「働かせてばかりでは馬が可哀想だ。温泉で休養させてやってはどうか」の鶴の一声。この発案で世界でも初めての競走馬専用の温泉施設が1959年に船橋競馬場内にオープンしたのである。今でこそ馬専用の温泉療養施設は珍しいものではないが、その嚆矢がはるか昔の船橋にあったというのは興味深い。

パドックや装鞍所のある場内西側の奥に入湯場が造られ、それを取り巻くように診療室、入院厩舎、歩様検査場などが建設された。診療室には、馬用のレントゲン、心電計、筋電計、超音波療法装置といった設備が施されていたというから、半世紀以上も昔のことと思えばその充実ぶりに驚かされる。

当時は競馬の人気が急上昇。そのため開催日数が増え、競走馬の無理使いが横行していた。当然のことながら故障率は増加の一途を辿る。故障馬の治療効果を早めるとともに、健康馬に対しても温泉浴でリフレッシュさせ、人間同様に英気を養わせるべきだ、というのが正力氏の考えだった。

当時も調教師や馬主は故障馬に対する湯治を行ってはいたが、温泉地までの輸送が馬にとって大きな負担となる上、馬のための運動施設も人材もなく、船橋の温泉は厩舎関係者にとって待望の施設だった。関西の厩舎からも、利用したい旨の申し出があったという。

この功績が認められ、正力氏は1959年の競馬記者クラブ賞(公営競馬部門)を受賞。ちなみに同じ年の中央競馬部門の受賞者は「ミスター競馬」こと野平祐二氏である。正力氏と言えば「プロ野球の父」としての印象が強い。しかし実は「公営競馬の父」という側面もあった。

 

***** 2024/3/10 *****