大河のゆくえ

今日の新潟10Rは2勝クラスの阿賀野川特別。その中継映像を観ながら、ふと思った。

信濃川はどこに行ってしまったのだろう?」

もちろん信濃川は無くなったりしない。昔も今も新潟県内を流れる日本一の大河だ。私が気にしたのは競馬の「信濃川特別」のこと。基本的に8月上旬に行われていたはずの信濃川特別は芝2000mで、8月下旬の阿賀野川特別は同2200mの一戦。どちらも2勝クラスの特別戦であり、どちらも新潟を代表する大河の名前を戴いている。しかしこの夏は信濃川特別を観た記憶がないのである。

2015年 信濃川特別 ティルナノーグ 石橋脩

過去の阿賀野川特別の勝ち馬にはオウケンブルースリがいるし、信濃川特別の優勝馬にはキセキの名が刻まれている。この時季の2勝クラスの中距離戦を3歳馬が勝てば、菊花賞につながっておかしくない。今年の阿賀野川特別を勝ったピースワンデュックも3歳馬だ。巷では昨日の日本海Sを勝った3歳馬へデントールを「菊の秘密兵器」と持ち上げているようだが、あそこまで派手に勝たれては秘密も何もなかろう。血統的にも騎手的にも、秘密感ならむしろピースワンデュックの方に漂っている。阿賀野川特別の勝ち時計は昨日の日本海Sをコンマ5秒も上回っていたことは忘れないでおきたい。

それにしても気になるのは信濃川の行方である。よもやJRAの番組屋が忘れたなんてことはあるまいな―――。なんてことを思いつつあらためて調べたら、昨年から春の新潟開催に施行時期が移っていた。京王杯SCの裏では印象に残らぬのも無理はない。ともあれ信濃川の流れから菊にたどり着くことは無くなった。あとは阿賀野川に期待するしかあるまい。ピースワンデュックへの期待はいや増す。

信濃川阿賀野川。かつてこのふたつの大河は河口付近でひとつの流れに合流しており、その周辺は「潟」と呼ばれる湿地帯だった。それを「新潟」の地名の由来だとする意見も多い。やがて享保年間に阿賀野川信濃川に合流する手前に自ら海への流れを見つけて一本立ちすると、徐々に洪水の被害は減少し始める。その後、信濃川の流れを日本海に逃がす「分水」がいくつも建設されたことで、越後平野に大規模な洪水は起こらなくなった。

その分水のひとつに「関屋分水」がある。競馬ファンならすぐに気付くはず。そう、関屋記念の「関屋」である。

かつての新潟競馬場は現在の豊栄地区ではなく関屋地区にあった。ある時、周辺に分水路を通す計画が持ち上がる。予定地に住む住民の移転先として関屋の競馬場に白羽の矢が立った。現在の競馬場は、いわば玉突き人事的に移転させられた格好になる。しかしそれも洪水の被害を減らして住民を守るため。そう言われれば仕方あるまい。

かつての関屋競馬場は新潟中心部から2キロと離れていなかった。それが現在の競馬場は直線距離でも10キロを遥かに超える。その不便さは、移転当時からファンのみならず関係者からさえも不評だった。それが競馬場のイメージ低下に繋がったことは想像に難くない。シンボリルドルフがデビューする直前、大橋巨泉氏が「新潟みたいなローカルでデビューさせてはいけない」と野平調教師や和田オーナーに提言したという逸話残っている。

それでもシンボリルドルフは新潟でデビュー。史上初めて無敗で三冠を制した。そこから四半世紀余りの時を経て、オルフェーヴルも新潟でデビューを果たしている。この夏、新潟をデビューの地に選んだ若駒の中に来年の三冠馬がいるかもしれない。滔々と流れる大河の如く、ゆっくりと長い目で彼らの流れ行く先を見届けよう。

 

***** 2024/8/18 *****