切麦

新宿で行われている写真展を訪れたついでに御苑近くをブラブラ歩いてみた。

かつてこのあたりには「クリエイト」というプロラボの新宿店があったのだが今はない。それでも20年前は毎日のように通い詰めていた。競馬が終わって撮り終えたフィルムを現像に出しに行き、翌日また受け取りに行く。その繰り返し。いま思えばたいへんな労力を割いていたような気もするが、当時はそれが当たり前だった。むしろ楽しんでいたように思う。特に現像の仕上がりを受け取る時の、期待と緊張の入り混じったあの高揚感に勝る楽しみを私はほかに知らない。それを知らぬデジカメ世代をむしろ気の毒に思ったりもする。

周囲のデジタル化を横目に見ながら、半ば意地になってフィルムを使い続けた私も、ウオッカのダービーを最後にデジタルの世界に足を踏み入れた。というか、2007年にJRAでの撮影の仕事を辞めざるを得なくなったので、実質的には「写真をやめた」と言う方が近い。ともあれ、そのタイミングでクリエイトとの縁も途絶えた。よってこの界隈を訪れるのも17年ぶりということになる。

それで久しぶりに周辺をぶらぶら歩いてみることに。かつては地元のように慣れ親しんだ町だったのに、いまでは見覚えのない店もチラホラ。現像の仕上がりを待つ間に時間を潰した喫茶店は、つけ麺屋さんに変貌を遂げていた。やはり17年の歳月は重い。

「切麦」

唐突にそんな二文字が視界に飛び込んできた。暖簾に「切麦や甚六」と書いてある。「きりむぎ」とはうどんの別名だが、屋号に使う店はそう多くはない。

内装はお洒落のひと言に尽きる。壁に向いたカウンター席は椅子の間隔もゆったり取ってあり、ライティングはショットバーのよう。デートにも使えそうだが、あくまでここはうどん屋である。

だからといって、うどんに力を入れてないわけではない。麺は注文を受けてから伸ばして、切って、茹でるという。天ぷらも揚げたてが出てくる。麺は大盛り無料。しばらく待って現れたうどんは、その純白のフォルムといい、盛り付けの曲線と言い、実に美しい。できることならリバーサルフィルムで撮影したいところだが、やむなくスマホで撮影した。その見た目に違わず、もちろん美味い。

うどんの起源には諸説あるが、一説には鎌倉時代に中国から帰国した僧が冷や麦の原型と言われる「切麦」を伝え、これを熱い湯につけても腰が保てるように太麺にアレンジしたと言われる。それから八百年。得た部分もあれば、失った部分も当然あろう。進化とはそういうものである。結果的にうどんは今日の味と形に至った。この一風変わった店名には、そんな歴史への敬意と戒めの念が込められいるのかもしれない。

「切麦」をすすりつつ考えた。フィルムからデジタルへ。それで我々が得たものは計り知れない。だが、失ったものもきっとある。現像仕上がりを待つ高揚感はそのひとつだろうが、決してそれだけではあるまい。

 

***** 2024/1/27 *****