84歳で独り身の父親の通院に付き合うため、朝から埼玉県は春日部へと足を運んだ。
よりによってこんな日に……。数年前ならそう思ったに違いない。なにせ今日はダービー。年に一度の特別な一日である。私自身1991年から2018年までの28年間、現地観戦を欠かさなかった。そんな私がダービー当日の競馬場を訪れなくなって久しい。コロナもあったりしたが、それよりも度を越えた混雑がいいかげん嫌になった。55歳も過ぎればだんだんそうなる。
古老と初老のふたりでダービーのテレビ中継番組を観ていると、古老の方が「子供の頃、東京競馬場の近くの多摩川で泳いだ」と言い出した。彼は認知症を患っている。昨日どころか今朝の出来事も覚えていられないのに、最近になって子供の頃の記憶がやたらと蘇ってくるから面白い。南武線や武蔵野線は砂利を運搬するための貨物鉄道だったという話でひとしきり盛り上がった。昭和25年頃の話だというから、すぐ隣の東京競馬場ではクモノハナやトキノミノルがダービーを勝っていた頃だ。
そんなことを話すうちにダービーのゲートが開き、2分24秒余りののちにダノンデサイルが先頭でゴールを駆け抜けた。おお! アナゴ(穴5)がホントに来ちゃったぞ! 「アナゴ」がいったい何なのかは、5月23日付「アナゴの季節」を読んでいただければわかる。
ダノンデサイルの父は2013年のダービーでキズナに敗れたエピファネイア。そのキズナの仔のジャスティンミラノを置き去りにした走りに、種牡馬エピファネイアの執念を見た気がする。さらにその父シンボリクリスエスを含めて、二代に渡るダービー2着の呪縛をついに破ったことも含めて素晴らしい。エフフォーリアでも成し遂げられなかったこの父系の悲願達成だ。
テレビ画面は横山典弘騎手と武史騎手が馬上でハイタッチするシーンを映している。するとまた古老が口を開いた。
「この人は知らないけど、この人のお父さんなら知ってる」
「そう。この二人は親子で、赤い帽子の方がお父さんだよ」
「いやそうじゃなくて、その人のお父さん」
「富雄さんのこと?」
「うーん、分からない」
でも、話を聞けば横山富雄元騎手のことを言っているようであった。つまり典弘騎手のお父さんで、武史騎手にとってはお祖父さん。名手と呼ばれながらダービーにはまったく縁のなかった富雄さんだが、典弘騎手が3つも勝ってしまうとは思ってもいなかっただろう。できることならひとつ分けてあげたいが、富雄さんは15年前に鬼籍に入ってしまっている。
騎手がダービー最年長勝利なら、調教師はダービー最年少勝利記録。晴れてダービートレーナーとなった安田翔伍調教師だが、テレビ画面にはその父で3月に調教師を引退したばかりの安田隆行さんの姿が映っていた。騎手と調教師と立場の違いはあれど、これも立派な父子ダービー制覇だ。
トウカイテイオーのダービーから33年。あれは筆者が初めて現場で見たダービーでもある。それから28年間、毎年律儀に観続けたが、個人的にはあの感動を上回るダービーには巡り合えなかった。それもダービーから足が遠のいた理由のひとつ。でも、死ぬまでにもう一回くらい観に行くのも悪くないなと思わせる今年のダービーだった。
***** 2024/5/26 ******