師弟の夢

昨夜遅くに行われたサウジダービーは、「世界のYAHAGI」こと矢作芳人調教師が送り込んだフォーエバーヤングが厳しい展開をものともせずゴール寸前でわずかに差し切り、海外初戦を勝利で飾った。

手綱を託されたのは厩舎所属の坂井瑠星騎手。今回のサウジ遠征でインターナショナルジョッキーズチャレンジにも選出された若き国際派は、師匠と二人三脚で世界の大舞台に挑み続けてきた。デビュー2年目の豪州武者修行も師匠の勧めがあったという。ヴェラスケス、スミヨン、モレイラといったビッグネームを相手に勝ち、通訳なしで勝利インタビューに応える姿はもはや「世界のSAKAI」だ。世界の舞台に挑み続ける師弟の夢が実現する日は近い。

きわめて個人的なことであるが、写真にしても文章にしてもそれ以外の何かにおいても、誰かに師事したという経験を筆者は持たない。バリバリ我流の人生を過ごしてきた。

競馬場で写真を撮り始めた当時に先輩カメラマンの荷物を運んだり、某ライターのアシスタントをしたこともあるけど、これは決して師弟関係ではない。だから「騎手のフリー化が進んで、厩舎社会の師弟関係が薄れてしまった……」などと嘆くことはない。師弟関係を知らぬものが師弟関係を語るわけにはいかないのである。

それでも敢えて師匠的な人をひとり挙げろと言われれば、やはり野平祐二氏ということになるのであろうけど、「先生」と呼ばれることさえいたく嫌った祐ちゃんのことである。まさか「師匠」などと呼ぶわけにもいくまい。

「私なんかに教わるんじゃなくて、馬に教わりなさいよ」

祐ちゃんが、誰かにこうおっしゃっていたことを思い出す。競馬に関わる人間は、すべからく馬が師匠なのである。岡部幸雄氏をして「シンボリルドルフに競馬を教えられた」と言わしめたことはあまりに有名だ。

昨日の小倉4レースを勝ってJRA障害通算100勝を達成した森一馬騎手が、セレモニーで「今の自分があるのは、すべて師匠の松永昌博先生のおかげ」と師匠への感謝を口にした。その松永昌師は来週で引退。ナイスネイチャトーヨーシアトルの主戦騎手としてファンの記憶にその名を刻んだホースマンも、ついに定年と聞けば感慨も深い。

1997年 東京大賞典 トーヨーシアトル松永昌博

師が挑むラスト重賞は月末に行われるJpnⅢかきつばた記念。もちろん鞍上には弟子の森一騎手を起用する。師弟の夢は世界の舞台に限った話ではない。木曜夜は名古屋に注目だ。

 

***** 2024/2/25 *****