元騎手トレーナーにエールを

テンクウハットという馬がいる。

モーリス産駒の4歳牝馬で、母ナリタシルエット、その母ナリタレインボウという血統。1勝クラスで馬券に絡めぬレースが続いているのだが、管理するのが騎手時代に「ナリタ」と浅からぬ縁のあった渡辺薫彦調教師ということで、密かに注目しているのである。

騎手未経験の調教師がリーディング争いをするようになって久しい。昨年の調教師リーディングでは騎手未経験者が上位を独占。ベスト10にランクインした騎手上がりの調教師は7位の上村洋行調教師しかいない。そんな時代だからこそ、騎手あがりの調教師はぜひとも応援してあげたい。

折しも、あさっては中山競馬場弥生賞が行われるが、渡辺師も騎手時代にこのレースを勝っている。もちろん手綱はナリタトップロード。雨に煙る3コーナー過ぎから自信たっぷりに進出を開始すると、馬群でもがく圧倒的人気のアドマイヤベガを尻目に、先頭でゴールを駆け抜けた。

1999年 弥生賞 ナリタトップロード渡辺薫彦

実はこの朝、渡辺騎手は誰もいない中山競馬場の芝コースをひとり歩いたという。歩いて馬場状態を確認をする騎手は珍しくないが、多くはGⅠレースに限られる。GⅡでは珍しい。その理由を聞かれて「あまり中山で乗ったことがないので、直線の坂の感じを確かめたかった」と答えていた。このとき彼はデビュー6年目。今で言えば岩田望来、団野大成、菅原明良あたりと同じ。しかし、渡辺騎手はこの時点で中山競馬場で勝ったことはなかったから、コースを歩きたくなる気持ちも分からないではない。

そんな渡辺騎手は弥生賞では3コーナー過ぎから強気のスパートでアドマイヤベガらの追撃を凌ぎ切った。たいした度胸と言わざるを得ない。自身の足で歩いてよほど気が楽になったのだろう。なにせ舞台は弥生賞。しかも相手は武豊騎手のアドマイヤベガである。

だがしかし、ダービーでは早めのスパートが裏目に出て、ゴール寸前でアドマイヤベガにかわされた。2着に敗れたレース後の検量室。歓喜に沸くアドマイヤベガ陣営から離れた片隅で、壁に向かって肩を震わせていた渡辺騎手の姿を私は一生忘れることはなかろう。その肩にそっと手をかけた沖調教師の姿も然り。ダービーというレースの一番大事な部分をギュッと凝縮したような、そんな一瞬の光景だった。

渡辺師ご本人もあの日の思いを忘れてはいまい。それが調教師としての活躍に役立っているものと固く信ずる。騎手から調教師へと立場は変われど、ホースマンとしての目標に変わりはない。田中勝春騎手と秋山真一郎騎手は「先生」となった。来週には福永祐一厩舎も開業する。新たなホースマン人生をスタートさせる「元騎手トレーナー」にエールを送ろう。

 

***** 2024/3/1 *****