オーブンレンジの恩

今週日曜の中山では「サクラバクシンオーカップ」が行われる。ご存じ1993-94年にスプリンターズS連覇を果たした日本競馬史に残る快速スプリンター。なかでも94年のレースは忘れ難い。勝ち時計1分7秒1は当時の日本レコード。6ハロン戦としては大差と言える4馬身差の圧勝だった。

1994年 スプリンターズS サクラバクシンオー 小島太

忘れ難い理由はもうひとつある。恥をさらすようだが、30年前に結婚したばかりの我が家にはオーブンレンジというものが無かった。電子レンジも無ければ、トースターさえもない。ゆえに食卓だけは、いつも昭和の光景であった。

年も押し詰まった1994年12月。オーブンレンジと共に華やかな年末年始を過ごしたいと願った我々夫婦は、意を決して中山競馬場に出かけたのである。すると、10R冬至S・サクラローレル→11RスプリンターズSサクラバクシンオーの「サクラ転がし」が見事成功。そのままの足で家電量販店に向かい、念願のオーブンレンジを購入することができたのである。

その後20年近くも我が家の食生活を支えてくれたレンジにはサクラバクシンオーへの感謝を忘れぬようにと貼り付けたテプラが今も燦然と輝いていた。その貢献ぶりは、現役引退後も種牡馬として日本競馬界を支えてくれたサクラバクシンオー本人にも似る。

サクラバクシンオー種牡馬入りした1995年当時は、日本ダービー天皇賞など中長距離の大レースが偏重されていた最後の時代でもある。当然種牡馬選びもそれに適した血統が求められる。短距離のスペシャリストとして活躍したサクラバクシンオーに生産者の目は思いのほか冷たかった。

社台スタリオンの徳武氏も「たまたま短距離ばかり勝ったけど、母系は長距離も適した血統だ」と、苦しいアピールに追われたという。だが、産駒がデビューする年を迎えると周囲の評価は一変した。その溢れるスピード能力が、ストレートに産駒に表れたのである。

スピード色の濃い種牡馬の系統は、次第に距離適性の幅を増し、中距離もこなし、時には長距離までその守備範囲を広げるものだ。ミスタープロスペクター系などはその典型であろう。だが、あまりに距離適性の幅を広げると、気づいた時には本来の持ち味であるスピード能力に陰りが表れ、あっと言う間に系統もろとも衰退してしまったりもする。

だが、このサクラバクシンオーは凄い。祖父テスコボーイから、父サクラユタカオーを経て受け継いだスピード能力を、ショウナンカンプグランプリボスといった自らの産駒に余すところなく伝えているのである。そして今年のスプリンターズSには直子ビッグアーサーの産駒トウシンマカオが出走。あのスプリンターズSから30年を経ていることを思えば、これは奇跡にも近い。その奇跡を阻みそうなライバルのサトノレーヴやオオバンブルマイにも母系からサクラバクシンオーの血を受けていることを思えば、もはや奇跡が起きていると言っても過言ではなかろう。

今でこそ短距離種牡馬はごく普通に存在するが、サクラバクシンオーの活躍がなければ、短距離種牡馬が現在のような地位に立つまでにはもうすこし年月を要したかもしれない。それは、我が国の競馬が世界的なスピード化の波に乗り遅れていた可能性を意味する。そう考えれば、サクラバクシンオーは我が国の競馬界に寄与した部分は決して小さくはあるまい。オーブンレンジへの感謝も込めて、今年のスプリンターズSでも彼の血を受け継ぐ韋駄天たちに声援を送ろう。

 

***** 2024/9/24 *****