10万人を集めたNZT

1983年に重賞に格上げされたニュージーランドトロフィーは、今年が数えて42回目。

今でこそNHKマイルカップの前哨戦という位置付けだが、NHKマイルC創設前は、12ハロンは明らかに不向きのスプリンターと、12ハロンでもイケるはずなのにクラシックに出られない外国産馬やクラシック未登録馬が激突するという稀有な舞台だった。手綱を持ったまま後続を7馬身千切ったオグリキャップのレースぶりは、今となっては伝説のように語り継がれている。

ミホノブルボンより強い」と言われた外国産馬ヒシマサルと、のちにマイルCSを勝つシンコウラブリイ、そして韋駄天サクラバクシンオーの「3強対決」でGⅠレース並みの盛り上がりを見せたのが、1992年のこのレース。9万6千人の大観衆が見守る中、シンコウラブリイが並み居る牡馬を蹴散らしたレースぶりは圧巻だった。ちなみに海外を含め重賞129勝を誇った名伯楽・藤沢和雄元調教師の、これが初めての重賞制覇となる。

入場者数でいえば1994年の方が凄い。なにせ10万8千人である。念のために記しておくが、この当時のニュージーランドトロフィーがGⅠだったわけでは決してない。わずか9頭立てのGⅡレースを見んがため、昨年のダービーやジャパンカップをも上回る大観衆が東京競馬場を訪れた。彼らの視線の先にいたのは、外国産馬ゆえに桜花賞オークスへの道が断たれたヒシアマゾン。同世代の外国産牡馬陣を破った彼女は、ここから女傑への道を駆け上がって行く。

1994年 ニュージーランドトロフィー4歳S ヒシアマゾン 中館英二

重賞に格上げされる前のニュージーランドトロフィーは、3歳上オープンの芝1800m戦としてダービー前日に行われていた。これを3歳限定のマイル重賞とした狙いは、明かなマイラーをダービーのゲートから除外することにある。当時のダービーはフルゲート28頭かそれに近い多頭数が常態化。「ダービーを勝つのは強い馬ではなく運の良い馬」などという格言は、主催者にとっては皮肉でしかない。ダービーの出走頭数削減は急務であった。

さらに、ダービー前にステイヤーマイラーとを明確に区分けし、その後の路線を整備することは、翌年実施された秋の天皇賞を3200mから2000mに短縮するための布石でもあったに違いない。そのための手段として、ニュージーランドトロフィーの重賞昇格だけではなく、合わせて皐月賞の1600mへの短縮案も真剣に議論されていたのだから驚く。

その後さまざまな曲折を経て、皐月賞の一週前に中山の1600mでニュージーランドトロフィーが行われ、5月の東京でNHKマイルCが行われるようになった。オグリキャップの強さに驚き、シンコウラブリイの速さに痺れ、ヒシアマゾンの末脚に震えた筆者にとって、昨今のニュージーランドトロフィーはいささかの物足りなさを禁じ得ない。今週土曜はスピーディキックを追い掛けて阪神へ行ってやろうか。

 

***** 2024/4/1 *****