有馬の名を戴くもの

日本橋蛎殻町。水天宮からロイヤルパークホテルに向かって1分も歩かぬ距離に「古都里(ことり)」というお店が暖簾を掲げている。土日も営業というのが嬉しい。

割烹であり、稲庭うどん店でもある。かけうどん750円と多少値は張るが、もともと稲庭うどんは藩主への献納品で、庶民が口にすることなどできなかったいわばぜいたく品。350年の歴史を噛み締めながら啜れば味わいも変わってこよう。

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ところで暮れのGⅠレース有馬記念競馬ファンでこのレース名を知らぬ人はいまい。

「有馬」とは、このレースの前身である「中山グランプリ競走」の実現を提唱した日本中央競馬会2代目理事長、有馬頼寧氏その人を指すことも良く知られた話だ。

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伯爵でもあった頼寧氏は、大政翼賛会事務総長を務め、近衛文麿とも深い親交を持つなど当時の政界の重要人物であった。またスポーツ全般にも深い関心を寄せており、プロ野球東京セネタース」(現・北海道日本ハムファイターズの前身)を創立して初代オーナーとなっている。その時の経験から「プロ野球オールスターゲームに倣い、ファン投票で出走馬を決めるレースを!」と提唱して始まったのが中山グランプリ。すなわち有馬記念である。

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しかし、実は「有馬」の名を戴くものは、競馬の有馬記念に留まらない。

「古都里」を出て隅田川に向かって左に曲がると、ロイヤルパークホテルや東京シティエアターミナルに囲まれるようにして、有馬小学校という区立小学校が見えてくる。開校は明治6年というから今年でちょうど150周年の歴史を誇るこの学校の名が「蛎殻小学校」ではなく、ましてや「日本橋小学校」でもなく、なぜ「有馬小学校」なのか。

それは「貧困な家庭の子女でも十分な教育を受ける機会が必要だ」という理念の元に、有馬家が私財を供して設立された学校だからに他ならない。むろん、有馬記念が生まれるよりずっと昔の話だ。

「有馬」の名が付くだけあって、有馬小学校も馬には縁がある。かつての神田祭に際しては、相馬野馬追の出陣式がこの有馬小学校の校庭で行われ、そこから神田神社までの道のりを騎馬がねり歩いていた。

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都心を馬が行列する機会は珍しく、多くの見物客はその姿に目を奪われたが、その行列のスタートとなった小学校と有馬記念との縁(えにし)について思いを馳せた人は、どれほどいたのだろうか。

 

 

***** 2023/12/19 *****