「復活の有馬記念」が復活

かつての有馬記念は「復活」と共に語られるレースだった。1993年のトウカイテイオーしかり。1990年のオグリキャップしかり。1年ぶりの勝利となった1998年のグラスワンダーも実は復活の勝利だったりする。

「ドウデュースも私も帰ってきました」

4万を超える大観衆の歓声に迎えられて1着ゴールを果たした武豊騎手も声高らかに復活を宣言した。天皇賞秋の当日にまさかの負傷。当初はエリザベス女王杯での復帰予定とされたが、思いのほか負傷が癒える速度が遅い。復帰予定はマイルチャンピオンシップに延び、ジャパンカップに延び、それも先延ばしとなって先週の朝日杯なってようやく騎乗再開の運びとなった。ドウデュースが7着に敗れたレースはテレビで観ていたらしい。その心中は察するに余りある。

ドウデュースの方もレジェンドの復活を待っていたのかもしれない。そう思える理由は今年2月の京都記念にある。

エフフォーリアを抑えて1番人気に推されたドウデュースと武豊騎手は道中後方を追走していたが、3コーナー手前から早くも進出を開始した。しかし武豊騎手の手綱は持ったまま。馬の方が騎手の意を汲んで自ら動いたように見える。そして直線。軽く仕掛けられたドウデュースのフォームは頸がグッと下がり、脚の回転が目に見えて速くなった。今日の有馬記念も同じ。10か月ぶりの背中を感じたドウデュースが、自然とあの時の走りを繰り出したように思えてならない。

京都記念のドウデュースと武豊騎手

武豊騎手の戦線離脱に際し、筆者は武豊騎手のモチベーションを心配していた。すでに54歳。兄貴分の熊沢重文騎手もターフを去った。彼が高いレベルでモチベーションを維持している一流のアスリードであることは重々承知している。しかしどんなアスリートでもいつか訪れる引退の日から逃れることはできない。事実「弱気になったこともあった」と本人も認めている。

あの京都記念のレース後に武豊騎手は「もう一度最強と言われたい」と言っていた。そのモチベーションが今日という日に繋がった可能性はゼロではあるまい。ジャパンカップでの復帰を断念したあとは、「ドウデュースと有馬記念に出たい」という思いを敢えて積極的に発信することで、自らを鼓舞していたように思える。そこがレジェンドのレジェンドたる所以であろう。ドウデュースは来年も現役を続行。凱旋門賞という言葉も出た。夢はまだまだ終わらない。この人馬の競馬を来年も観ることができることを感謝しつつ、今年一年を締めくくることとしよう。

 

 

***** 2023/12/24 *****