牝馬のクラウンカップ

川崎競馬は昨日からナイター開催がスタート。今日は火曜日だが3歳重賞・クラウンカップが行われた。今年は東京ダービーのトライアルレース。年によっては羽田盃のトライアルとして施行された過去も一度や二度ではない。いずれにせよ牡馬クラシックにおける重要なステップである。そういう点も含めて紅一点のウインアザレア(父マインドユアビスケッツ)に注目していたのだが、13頭立ての9着に敗れた。

過去に行われた27回のクラウンCの歴史の中で牝馬が勝ったことら一度しかない。それが2011年のナターレクロフネ譲りの芦毛牝馬は、並み居る牡馬たちの追撃をアタマ差凌ぎ切って優勝してみせた。

2011年 クラウンカップ ナターレ 的場文男

冒頭に書いたように、本来牝馬が目指すレースではない。ナターレにしても2月の桃花賞で2着に好走してからは、3月23日の桜花賞を目指して調整されてきた。だがこの年の3月11日に発生した東日本大震災により桜花賞は中止の憂き目を見る。やむなく3月28日大井の自己条件戦を目指すが、その大井開催も中止となってしまった。

競馬が再開されたのは、震災から一か月が経った4月の川崎開催である。クラウンCは競馬再開最初の重賞となり、春の目標を失った牝馬たちもこぞって出走してきた。出走14頭のうち牝馬が6頭。その中にはのちに東京プリンセス賞を勝つマニエリスムTCK女王盃を勝つハルサンサンも含まれる。

ちなみに本来ならナイターで行われるはずのクラウンCが真っ昼間に行われたのは、首都圏を襲っていた電力不足のため。この

写真を見るたび13年前の競馬界を取り巻いていた、あの漠然とした不安感を思い出す。

ターレ南関東を中心に通算9勝と活躍した。父クロフネ譲りの白い馬体をダイナミックに使う走法で、同期でライバルのクラーベセクレタと一緒に東日本大震災後の地方競馬会を盛り上げた一頭である。

彼女が父から受け継いだのは毛色だけでない。ナターレ南関東のダート重賞を3勝する一方で、盛岡に遠征して芝の重賞・OROカップを連覇する偉業を為している。しかも2年目はレコード勝ちだった。二刀流とレコード。これぞクロフネの真骨頂であろう。その能力は産駒のガイアフォースにしっかり受け継がれた。そのナターレが初めて手にした重賞タイトルこそ、このクラウンCだったのである。

 

***** 2024/4/2 *****