オリンピックイヤー

今日2月29日が誕生日という人にとっては、4年ぶりのリアル誕生日。待ちに待った一日に違いない。お祝い申し上げます。

馬産地はお産シーズンまっただ中。おそらく今日も何十頭という子馬が生まれてきたはず。彼ら彼女らが初めてのリアル誕生日を迎えるのは4年も先のことだ。そのときは「古馬」になっているのだから不思議ですね。

そもそも馬の誕生日というのはあまり気にされない。すべての馬は毎年1月1日に等しく歳を取る。米国の歴史的名馬マンノウォーの場合は、彼の誕生日である3月29日に毎年バースデー・パーティーが開かれていたというが、これは稀な例であろう。 

ところが、知らぬ間に馬の誕生日が重要な情報として扱われるようになっていた。JRAの公式出馬表にも馬の生年月日が掲載されている。聞けば、占星術応用の予想に誕生日は不可欠な要素らしい。馬本人(?)だけでなく、騎手や調教師の誕生日、果ては馬の種付け日まで問い合わせがあるというからたいへんだ。

ところで、90年代前半頃までは「オリンピックイヤーには名馬が出現する」という奇妙な格言があった。すなわち「名馬出現4年サイクル説」である。ローマオリンピックが開催された1960年以降のオリンピックイヤーの年度代表馬を見てみると、

 1960 コダマ(3歳) ローマ
 1964 シンザン(3歳) 東京
 1968 アサカオー(3歳) メキシコ
 1972 イシノヒカル(3歳)ミュンヘン
 1976 トウショウボーイ(3歳) モントリオール
 1980 ホウヨウボーイ(5歳) モスクワ
 1984 シンボリルドルフ(3歳) ロサンゼルス
 1988 タマモクロス(4歳) ソウル
 1992 ミホノブルボン(3歳) バルセロナ

という具合に、1980年と88年を除いて3歳馬が年度代表馬に輝いているのである。88年にしても、年度代表馬こそタマモクロスに譲ったが、我が国の競馬年表に記されるべきは「オグリキャップが出現した年」であろう。いずれにせよ年の瀬に一年を振り返るとき、オリンピックの思い出と、新たに出現した強い3歳馬の記憶が交錯すれば、「オリンピックイヤーに名馬誕生」という印象が生まれてもなんら不思議はない。

しかし、その後はこの格言もすっかり聞かれなくなった。実は1996年から夏と冬オリンピックの開催年が2年おきに改められたのである。2年おきにオリンピックが開かれるようでは「オリンピックイヤー」という言葉自体が死語になるのも無理はない。2020年のように、うるう年でもオリンピックが開かれない年も現れるご時世である。

そう思うと、1980年に「名馬」と呼ばれるような3歳馬が出現しなかった理由もおぼろげながら見えてこないか。この年、日本は政治判断によりモスクワオリンピックをボイコットしたのである。

 

***** 2024/2/29 *****