強く、美しく、そして悲しいチャンピオン

今回、ダラスで通訳兼ガイドを依頼した現地スタッフは、学生時代を日本で過ごしたらしいのだが、そのときに一度だけ競馬場に行く機会があった。そのときに勝った馬が生涯ただ一頭の「好きな馬」なのだという。馬の名前は?と聞くと、返ってきた答えは「テイエムオペラオー」だった。

それがなんというレースだったかは覚えていないのだが、私個人はテイエムオペラオーといえば4角最後方から直線だけで突き抜けた皐月賞が思い出深い。一緒に観戦した故・野平祐二氏が「日本にもこういう圧倒的強さで相手をねじ伏せる馬が現れたのか。まるでガネー賞のミルリーフのようだ」と、自身も直接対戦した歴史的名馬のレースぶりに重ねて興奮を隠そうとしなかった。

1999年 皐月賞 テイエムオペラオー 和田竜二

2000年の年度代表馬である。この年の彼はすべて1番人気で8戦全勝。天皇賞(春)宝塚記念天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念古馬中長距離GⅠをことごとく制してみせた。空前にして絶後の快挙だが、穴党にとっては辛い一年間だったに違いない。

しかしその配当を振り返ると意外なことに気付く。8連勝の単勝平均配当は186円。思ったほど低配当でもない。同じくJRAのGⅠ7勝を達成したのがシンボリルドルフディープインパクト。彼らの4歳時(現行表記)の平均単勝配当と比較してみれば一目瞭然だ。

シンボリルドルフ(1985年)5戦 138円
ディープインパクト(2006年)5戦 116円

テイエムオペラオーは歴史に残るチャンピオンだったのに、上記2頭に比べると人気面で劣った感は否めない。完全無双のチャンピオンの単勝が売れなかったのは、いったいになぜであろうか。

理由はさまざま。時代背景もある。2000年から01年といえば、プロ野球では佐々木主浩イチローらが続々とメジャーリーグに移籍。サッカーでは中田英寿が日本人として初めてセリエA優勝の快挙を為した。競馬においても、武豊が米国や仏国に拠点を置いた時期と一致する。キーワードは「世界」だった。テイエムオペラオーにまったく歯が立たなかったステイゴールドでさえ世界に挑戦したこの時代。かたくなに国内に留まり続け、さらにレースのたびに泣きを入れ続けた陣営の姿勢が、ファンの目に「不遜」と映った可能性はゼロではあるまい。

メイショウドトウの存在も大きかろう。日本人は判官贔屓。勝ち続ける者を嫌い、負け続ける者に肩入れする。毎回わずかの差で及ばないメイショウドトウと、それを嘲笑うかのように勝ち続けるテイエムオペラオー。同じような結果が繰り返されるうち、その麗しき国民性が発揮されたのかのかもしれない。

2000年 ジャパンカップ テイエムオペラオー 和田竜二

テイエムオペラオーメイショウドトウのワンツーフィニッシュは6回を数えたが、ドトウは1勝5敗とやられっぱなしだった。なのに「オペラオー派」と「ドトウ派」というファンの割合に、そこまで極端な差はなかったように思う。メイショウドトウへの応援票や同情票が、テイエムオペラオーのオッズを実力度外視で押し上げていたに違いない。

2000年 ジャパンカップ テイエムオペラオー 和田竜二

テイエムオペラオーは強いチャンピオンであっただけでなく、美しいチャンピオンだった。ファインダーを通して見た光り輝く栗毛にいったい何度魅了されたことか。しかしその強さゆえにアンチを生んだ悲しいチャンピオンでもあったように思う。それでもこうして米国にも彼のファンはいた。捨てたものではない。

 

***** 2024/3/17 *****