【訃報】マグナーテン

2001年、02年の関屋記念を連覇するなど重賞4勝の快速馬マグナーテンの訃報が報じられた。28歳なら長生きの部類であろう。05年1月に現役を退いてからは、札幌市郊外のモモセライディングファームで乗用馬として活躍していた。重賞4勝や獲得賞金4億5299万5000円はセン馬における当時の最多記録。2002年のNSTオープンでマークした1分19秒0の勝ち時計は、20年以上経った今も破られぬ新潟芝1400mのコースレコードだ。

2002年 関屋記念 マグナーテン 岡部幸雄

もともと好きな一頭ではあった。とにかく逃げ馬を応援したくなるタチなのである。しかもこの夏は、諸般の事情からマグナーテンについて色々調べる機会があり、なおさら彼にインスパイアされたばかりのタイミングだから驚かずにはいられない。先日札幌に滞在した際も、ふと思い立って会いに行こうと手配したのだが、別の用事が押してしまい会えず終いだった。後悔の念が募る。

個人的には関屋記念連覇の印象が強いのだが、一般的にはその関屋記念直後に勝った2002年の毎日王冠がハイライトであろう。東京競馬場改修工事に伴い、この年の毎日王冠中山競馬場で行われた。しかもこの週から秋開催が開幕したばかりの中山の芝は、びっしり野芝が生え揃った絶好の状態。新潟を得意としていたマグナーテンにとってはうってつけの舞台だった。

中山開催とはいえ毎日王冠であることに変わりはない。この時点で重賞7勝、うちGⅠ3勝を挙げているエイシンプレストン宝塚記念を勝ったダンツフレームも出走してきた。そんな格上相手にマグナーテンはいつものように逃げの手に打って出る。

「馬が勝手に走っただけ。アメリカンボスが競りかけてきたけど、向こうが下げたので、自然と逃げる形になった」

手綱を取った岡部幸雄騎手が、そう振り返ったように、スピードの違いは歴然だった。その軽快なペースは直線に入っても鈍ることがない。それどころかさらに加速したようにも見える。エイシンプレストンが必死に追いすがるがもはやセーフティーリード。最後までダイナミックなストライドは衰えぬまま、圧巻の逃走劇でGⅡ初勝利を飾った。

2002年 毎日王冠 マグナーテン 岡部幸雄

「GⅠとはいかないまでもGⅡ程度なら勝てるかもね」

この前年、フリーウェイSを勝ってオープン入りを決めた直後に藤沢和雄調教師はそう予言していた。今思えば恐るべき慧眼である。その後、さらに距離を伸ばしたジャパンカップでも果敢に逃げてあわやの4着。そして翌年のAJCCで4度目の重賞制覇を果たす。7歳にして距離を克服する例は珍しいが、これひとつとっても去勢効果のひとつかもしれない。若い時分は父ダンジグのスピードばかりが前面に出ていたが、去勢し、さらに年齢を重ねたことによって力みが消えて長い距離にも対応できるようになった。そもそも母マジックナイトは凱旋門賞ジャパンカップで2着するなど2400mがベストの長距離馬。スタミナの下地は受け継いでいたに違いない。

そんなフランスの名牝と大種牡馬ダンジグとの間に生まれた馬に関わった人はみな、将来の種牡馬入りを夢見たに違いない。しかし3歳秋にその道は絶たれた。でも去勢の決断があったからこその重賞4勝であろうし、レコードタイム樹立だったはず。もっと言えば、28歳の夏まで長生きできたのも、そのおかげだと思いたい。

モモセライディングファームにて (2007年8月撮影)

岡部騎手は同馬について「根気よく面倒を見ていれば可能性のある馬はたくさんいる」とコメントしている。マグナーテンのことを調べ続けたこの夏の終わりに、その一言の重みをしっかり噛み締めたい。日本競馬史にその名を残すべき名馬の冥福を祈る。合掌。

 

***** 2024/9/19 *****