20年目の引っ越し

新年あけましておめでとうございます。

昨年は自分を含めて家族も引っ越しが相次いだ一年だった。自宅から荷物を運び出し、そこに新たに荷物を運び込む。その繰り返し。おかげで我が家には使用済みの段ボール箱と未使用の段ボール箱が入り混じって散らかっている。この正月の間に片付けなければなるまい。

それでも我が家の引っ越しなんてラクなもの。たとえば、昔々美浦トレセンが完成した時はたいへんだった。あれは1978年のこと。中山競馬場の厩舎関係者が約2300人。東京競馬場は約2200人。さらにJRA職員や獣医など約500人。総勢5千人がいっせいに美浦村へと居を移した。

当時の美浦村の人口は約8600人。どれほどのイベントであったかご想像いただけるだろう。むろん引っ越すのは人間だけではない。これに2200頭の馬が加わる。その引っ越しのための費用は5億円を要した。ちなみに、この年のダービーの1着賞金は5500万円である。

この引っ越しは最初から順調に進んだわけではない。

トレセン中山競馬場まで79キロ、東京競馬場までは125キロの距離にある。これを問題視した馬主協会が、「世界でも例を見ない過酷な輸送を馬たちが強いられる」として移転に反発。厩務員組合の一部も「馬に負担をかけさせるべきではない」とこれに同調したことで、厩舎引っ越し問題は競馬界を揺るがす大騒動になった。

JRAは試験的な輸送を何度か行い、体重、心拍数、心電に著しい影響は見られなかったとする調査結果を提示したが、馬主協会は納得しない。それどころか競走馬の移動を禁止する仮処分を東京地裁に申請したのである。その背景には年間1兆円を超えたばかりの売り上げの賞金分配問題があったとされる。金絡みで馬が人質に取られるのは厩務員春闘と同じ。ともあれ、引っ越し当日になっても、馬を連れて行くことができない。なので人間だけがまず美浦村に向かった。

両者の和解が成立したのは、引っ越し当日の午後3時半。その一報を受け急遽馬運車によるピストン輸送が始まった。この日最後の入厩馬の到着は深夜零時近くだったという。「馬が負担をかけさせるな!」と騒いだ末の顛末がこのザマでは、笑い話にもならない。

さて、トレセンほど大袈裟な話ではないが、諸事情これありでこのブログも引っ越しをすることにした。第1回の投稿は2005年9月の日本テレビ盃。「競馬サロン◇ケイバ茶論」から「競馬食堂」を経て「競馬茶論」の現在に至るまで、ずっとお世話になってきたココログさんには感謝の言葉もない。

 引っ越し先URL
 競馬茶論 〜サロン・ド・ケイバ〜

keibasalon.hatenablog.com

それでは今年もどうぞよろしくお願いします。

 

***** 2024/1/1 *****