ゆかりの地へ

まことに唐突ではあるが成田山新勝寺を参拝した。正月三が日には300万人を超える参拝客でごった返す関東の名刹。とはいえ今日のところは人影もまばらだ。初詣客を迎える準備はすっかり整っている。

成田山新勝寺総門

オノレの馬券下手に嫌気がさして不動明王にすがりに来た―――ワケではない。成田空港に迎えに来たは良いが、到着便が遅れるというので時間潰しのためにやってきた。とはいえ成田山詣では初めてだからテンションは上がる。こんなことでもなければ一生参拝することも無かったに違いない。

市川團十郎家の屋号が「成田屋」なのは、この新勝寺との深い繋がりに由来している。初代市川団十郎成田不動尊にまつわる芝居を打って大当たりしたことで、江戸の当時に成田参りが大流行した。さらに男子が生まれなかった初代が不動明王に子宝祈願をしたところ後の二代目を授かったことがきっかけで「成田屋」を屋号としたのである。

成田山新勝寺 三重塔

2009年に亡くなった山路秀則氏の冠名が「ナリタ」であることも、実はこの成田山と無関係ではない。その由来は、大阪府内在住の成田山新勝寺信者が中心となり枚方市に建立した成田山大阪別院にある。山路オーナーは枚方にお住まいだった。

1994年皐月賞 ナリタブライアン

競馬場で「ナリタ」「オースミ」の名を聞かなくなって久しい。ナリタタイシンナリタブライアンを要した1993年と1994年にはオーナーランキングの2位に輝いている。あれから30年。今年はJRA2勝。2018年の北九州記念に出走したナリタスターワンを最後に、重賞レースへの出走も途絶えている。20代の競馬シーンを「桃、紫山形一文字」の勝負服と共に過ごした身としては、一抹の寂しさを禁じ得ない。

ちなみに社台ファームノーザンファームの始まりの地もこの成田周辺にある。山路秀則氏がオーナーランキング2位となった1993年と94年のリーディングオーナー・社台レースホース吉田照哉氏も、幼少の頃は成田市内の小学校に通っていたそうだ。


 

 

***** 2023/12/27 *****